お城ってなに?お城の数ってどのくらい?

お城ってどのくらいあるの?

野口
こんにちは! お城カタリストの野口です。突然ですが……
日本全国にあるお城の数は、どのくらいあると思いますか?
鎌倉時代から安土桃山時代の、武士が活躍する時代には、全国に3万〜4万のお城があったと言われています。
2017年現在、小学校・中学校・高校の数を合計すると約40,500校なので、学校と同じくらいの数のお城があったということです。
城子さん
え? 学校と同じくらいお城があったの?!
そうなんです。驚きですよね。
何らかの記録に残っているものでも、25,000以上のお城があるそうです。

なかには8万以上のお城があったという説もあったりして……実際のところ、どれだけのお城が存在したのか、はっきりしていません。

いま残るお城の姿は?

お城は、いくつもの困難をくぐり抜けて、その姿を今に伝えています。
いま残っているお城の姿は、一体どのようなものでしょうか?

姫路城
お城を想像するとき真っ先にイメージするのは、石垣の上にそびえる、きらびやかな「天守」ではないでしょうか。
けれど「お城=天守」ではありません。必ずしもお城に天守がある必要はないのです。
天守がないお城も、もちろん「お城」です。

そんな「天守」のあるお城は、全国に約100城あります。ざっくり。
そのうち、江戸時代以前からの姿で残る天守は、たった12城しかありません。
この12の天守を「現存12天守」と言います。
そのうちの5城は国宝に指定されていて「国宝5天守」と言います。

堀や石垣で防御したエリアを持つ「寺」や「神社」もお城にカウントされます。
例えば、織田信長が大坂で約10年間戦った石山本願寺は「南無六字城(なむろくじじょう)」とも言われていて、いま残っている大阪城の前身とも考えられます。
また、根来衆と呼ばれる僧兵軍団で武装した根来寺も「根来城(ねごろじょう)」として今に伝わります。


石垣や堀や土塁など、遺構だけが残る「城跡」も、もちろん「お城」なのですが……その数は、はっきりしません。

筒井城
そして城跡の中には、お城があった場所を示す「石碑だけが残るお城」もあります。

和田岬砲台

三菱重工HPより:現存する和田岬砲台(兵庫県神戸市)

また、幕末期に作られた「台場」と呼ばれる砲台跡もお城にカウントされます。
黒船来航に対する沿岸の防衛のためにつくられた砲台は、当時はなんと800も存在したそう。

城子さん
え?! 800も!
野口
この数を考えると、外国からの圧力が、その当時の日本人にとってどれほどの恐怖だったのかが想像できますね。

お城ってなに?

いろいろな形で、いまもお城が存在することはわかりました。
けれども「お城の数は○○城です!」とはっきり言い切れないのが悲しいところ。

お城の数がはっきりしない要因は「お城」の概念があいまいだからです。

城子さん
う〜ん……お城ってなんだろう?

そうですね。この点はとても悩ましいところです。
では、お城とは何か? について考えてみましょう。イメージしてくださいね。

  • お城は、敵からの攻撃や侵入を防ぐために、堀を作ったり、石垣や塀で防御をしたり、敵の動向が分かるように、物見やぐらを建てたりしていました。
  • そして、お殿様が館や御殿で暮らしていましたし、その家臣たちも、その近くに暮らしていた所もあります。
  • 暮らすためにも、籠城戦に備えるためにも食糧や武器、もちろん資金も必要なのでそれらを備蓄していたはずです。
  • お殿様はそこで、政治を行っていたでしょうし、情報を収集して、知略を尽くして、ご自身の統治するエリアを死守していたことでしょう。

つまり、お城は…

  • 敵からの攻撃(侵入)を防ぐための軍事施設 であり、
  • 食糧や武器・資金の備蓄場所 であり、
  • 指揮官の住まいや生活の場 であり、
  • 政治や情報の拠点   と、言うことができます。

これが「お城の定義」なのですが、とても幅広くてわかりにくいですね。
そのため、日本に4万のお城があったとか、いやいや8万のお城があったのだとか、お城の数もあれこれと議論がわかれてしまうところのようです。

野口
お城とは何か? を明確にするには、お城がどのように形づくられたかを知ることがとても重要です。
次からの記事では、お城の歴史を探って「お城とは何か?」の謎を解明していきます。

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