御殿の目印? 二条城の「蘇鉄の間」から広がる蘇鉄のはなし

岡山城 本丸中段にある蘇鉄

「蘇鉄(そてつ)」をご存知ですか?

尖った葉先が特徴の、南の島をイメージさせるあの植物です。

私が、はじめて蘇鉄に興味を持ったのは、二条城(京都府)を訪れた時のこと。

今回は、蘇鉄にまつわる奥深い話をご紹介します。

二条城の「蘇鉄の間」

二条城
二条城 二の丸御殿

世界遺産の二の丸御殿には「蘇鉄の間」という空間があります。

蘇鉄の間といっても、二条城のほかの部屋のように、畳敷きで障壁画もあり、天井のつくりまで手の込んだ特別な空間ではありません。

蘇鉄の絵が描かれた木戸が並んでいるだけの、渡り廊下のようにも見える「ちょっとした」空間です。

そんなミニマムなスペースにも関わらず、蘇鉄の間は格式のある「間」として存在し、遠侍・式台・大広間・黒書院・白書院と並んで国宝となっています。

二条城 二の丸庭園

「なぜこの場所に蘇鉄の間はあるのだろう?」そんな素朴な疑問から、私の“蘇鉄の旅”がはじまりました。

もしかしたら、渡り廊下のようなこのつくりに意味があるのかもしれない。

大広間から黒書院に進む途中にある、この位置にも理由があるのではないかと考えました。

黒書院は、将軍や徳川家と親しい大名のほか、高位の公家などが対面する場所です。

その場所に蘇鉄の間があることで「この珍しい形状をした、見たこともない植物は何だろう」と、御殿を訪れた人々は思ったのではないでしょうか。

「蘇鉄の間」のある二条城の見どころをご紹介しています。

二条城と蘇鉄のつながり

二条城
二条城 二の丸庭園の蘇鉄

二条城と蘇鉄のつながりは……と言うと、鍋島藩(現在の佐賀県)藩主の鍋島勝成が、後水尾天皇の行幸に先駆けて3代将軍:徳川家光に蘇鉄を1本贈った、という記録が残されています

当時は今のように物流が整っていませんでしたし、また気候も違う環境の中で南方の植物が育つということは、とても珍しく貴重なことでした。

珍しい物を知っている・持っているということは、ある意味「権力の象徴」だったのかもしれません。

虎や豹の絵を障壁画に描いて見せつけるように、蘇鉄の間を通り過ぎながら、こんなに珍妙なものを知っている徳川幕府を、驚異と尊敬の念を持って崇めさせる意図があったのかもしれません。

蘇鉄の防寒対策

二条城
二条城 二の丸庭園の蘇鉄(冬)

二条城では毎年11月下旬から12月上旬にかけて、寒さに弱い南国育ちの蘇鉄を「こも」や稲わらで包んで保温する作業を行います。

この冬支度の作業はきっと今だけでなく、鍋島藩から届いた江戸時代から続く伝統行事かもしれません。

こもで巻かれた蘇鉄の姿はなんともユニークで、二条城の冬の風物詩になっています。

ほかのお城にある蘇鉄

大阪城 本丸にある蘇鉄
野口

「蘇鉄」は特別な存在だったかもしれない。

そう思いはじめると、全国のいろいろなお城に蘇鉄があることに気がつきます

大阪城の場合は、お城のメインエリアである本丸の一角に。

岡山城は、本丸の本段エリアに通じる不明門の近くに。

彦根城では、城内にある玄宮園という大名庭園の中に。

そのほか多くのお城でも蘇鉄を発見したのです!

川越城
川越城 本丸御殿

蘇鉄のある場所の共通点は何だろうと考えてみると、それは「御殿」ではないか気づきます。

大阪城の場合、蘇鉄のある場所は本丸御殿が建てられていたところです。

岡山城の場合も、政治の拠点だった表書院が建てられた中段エリアにあります。

もしかしたら蘇鉄は、御殿の高貴さや特別感に花を添える存在だったのではないでしょうか。

野口

蘇鉄のある場所を「御殿があった場所だったかも?」とイメージしてみると、当時の様子を想像しやすいかもしれません。

蘇鉄に注目してみると、蘇鉄をきっかけに御殿の場所が推測できて、お城めぐりの楽しさがグッとアップするはずです。

蘇鉄が目印? の御殿について詳しくご紹介しています。

織田信長にまつわる蘇鉄の話

織田信長には、蘇鉄にまつわる興味深いエピソードが残っています。

大阪府堺市の「妙國寺(みょうこくじ)」には、樹齢1100年と伝わる、国の天然記念物に指定されている大蘇鉄があります。

妙國寺というと、本能寺の変のときに徳川家康が滞在していた寺でもあります。

ここから家康一行が「伊賀越え」をして、命からがら岡崎まで逃げ帰った話は有名です。

妙國寺の大蘇鉄(泰然寺HPより)

南方植物である蘇鉄は大変貴重な存在で、信長も羨望の的だったそう。

天下統一を果たした信長はその権力を持って、妙國寺から築城した安土城にその蘇鉄を移植させてしまいました。

ところが。移植された蘇鉄は毎夜「堺に帰りたい。妙國寺に帰りたい」とすすり泣くのだそうです。

それに激怒した信長が家臣に命じて蘇鉄を切らせたところ、切り口からは鮮血が流れ、蘇鉄は大蛇のようにのたうち回って悶絶しました。

結果、さすがの信長も恐れをなして、蘇鉄を妙國寺に返したという伝説が残っています。

痛めつけられた蘇鉄は、今にも枯れそうな姿で戻ってきました。

日珖上人がお経を読んで唱えたところ、およそ1年後に満願成就して蘇鉄は無事に回復したそうです。

ここから「蘇る(よみがえる)」という文字を使って表記されるようになったと言われています。

まとめ

今回は二条城の「蘇鉄の間」の蘇鉄から、深掘りしてご紹介しました。

私の持論ですが、珍しい南方植物の蘇鉄は、御殿と大名庭園に深いつながりがあると思っています。

天守のあるお城に行ったら、ぜひ蘇鉄を探してみてください。

蘇鉄のある場所は、御殿があった場所ではないか? と想像してみましょう。

蘇鉄を手がかりに、イメージを膨らませたら、お城めぐりの面白さがぐっと増します!

蘇鉄ひとつでも、奥深い物語やドラマを含んでいます。

そんな目線で蘇鉄を眺めてみると、太陽に照らされた硬質の葉が、キラキラ光って神々しく見えてくるから不思議です。

野口

あなたもお城で蘇鉄を探してみませんか?

では、また!

この記事を書いた人

お城カタリスト