石垣の石はどんな石で、どこから運ばれて来たの?
当サイトをご覧の方からご質問をいただきました!
なるほど。天守のあるお城の多くでは、石垣の石が大量に使われています。
例えば大阪城は、石垣の総延長がおよそ12km、使われた石材の総数は100万個を超えるそうです。
これほど大量の石をどこから運んで来たのか、とても気になりますね。
今回は大阪城を例に、どんな石がどのような場所で採石されたのかをご紹介します。
そもそも大阪城の築城とは
現在、私たちが目にする大阪城の石垣は、江戸時代初期の元和6年(1620)から約10年の時間をかけて築かれたものです。
この大規模な工事は、徳川幕府の命で行われた「天下普請(てんかぶしん)」によって行われます。
天下普請は、幕府の大号令のもと、大名たちに石高に応じた工事エリア(丁場)が割り振られ、大名家が分担して土木工事を請け負うものです。
天下普請について、詳しくは別の記事でご紹介します。
大阪城の天下普請には、外様大名を中心に64の大名家が関わったと伝わります。
幕府は、「花崗岩(かこうがん)」を石垣の石材に決めました。
石垣に使われた石・花崗岩とは
花崗岩は、マグマが冷えて固まってできた「火成岩(かせいがん)」と呼ばれる種類の岩石です。
花崗岩って、石垣以外にも使われてるのかな?
なるほど。花崗岩をよく目にする場所が、お城以外にありますよ!
それは、お墓。
墓石に使われる「御影石(みかげいし)」が、花崗岩なのです。
磨くと光沢が出て美しいのも、花崗岩が墓石に使われる理由のひとつでしょう。
花崗岩の特徴は、次のようなものがあります。
- ほかの石に比べて硬くて強度がある
- 硬い岩石であるにもかかわらず、加工しやすい
- 外で雨や風にさらされても劣化・風化しにくい
- 水分を含みにくいため、長持ちする
幕府は、大阪城に広い水堀をつくることを想定していました。
水を含みにくく、強度がありながら加工しやすく、劣化しにくい特徴の花崗岩は、広い水堀を念頭においた幕府の石垣づくりに、最適な石材だったのです。
大阪城の石垣の石はどこから運んだのか
石材の石を切り出し加工した場所を「石切丁場(いしきりちょうば)」や「石丁場(いしちょうば)」と言います。
「丁場」とは作業現場のことです。
天下普請では、工事に必要な材料や人材は、大名家の負担で確保する必要がありました。
幕府から普請の指示を受けた大名たちは、家ごとに石切丁場を確保して、まず石材を調達しなければなりません。
大阪城の石垣の石切丁場だったと伝わる場所は、兵庫県の六甲山山系の山々や、瀬戸内海の犬島や小豆島などにあります。
特に、香川県小豆島町の「小豆島石丁場跡」と兵庫県西宮市の「東六甲石丁場跡」は、その歴史的価値の高さから『大坂城石垣石丁場跡』として史跡名勝天然記念物に登録されています。
小豆島の石切丁場について、別の記事で詳しくご紹介します。
石切丁場の石って、本当に花崗岩なのかな?
確かに! 本当に花崗岩を採石していたのか調べてみましょう。
こちらは、国立研究開発法人 産業技術総合研究所の地質情報を閲覧できる「地質図Navi」から抜粋した地図です。
この地質図によると、薄いピンク・濃いピンク・赤色が、花崗岩を含む火成岩エリアなのだそう。
近畿から中国地方の広いエリアと、小豆島をはじめとする瀬戸内海の島々に、花崗岩があることがわかりますね。
大阪城の石垣の石切丁場がある場所は、確かに花崗岩の採石エリアでした。
「地質図Navi」のように、簡単に情報が入手できなかった江戸時代。
にもかかわらず、石の素材まで幕府に決定されて、その石材を切り出さなければならなかった大名たち。
多くの時間と労力をかけて石材を探し出したのかもと想像すると、お城の石垣がより美しく見える気がします。
↓地質について興味のある方はぜひ覗いてみてください!
石の切り出し方
石垣の石がどのように切り出されるかをご存知でしょうか?
石には「木の目(木目)」と同じように、「目」があります。
石工たちは石の目を見極めて、そのラインに沿ってノミで鉄製の「矢」を挿すための穴を開けます。
この穴を「矢穴(やあな)」といいます。
矢穴に矢を挿して、木槌や金槌で叩いていくと、徐々にヒビが入り、石の目に沿って直線的に巨石を割ることができるのです。
こちらは、小豆島の石工さんが400年前の石割りに挑戦している動画です。
江戸時代の石割りを再現して、石を割っています。ぜひご覧ください。
大阪城以外の石切丁場
大阪城だけでなく、ほかのお城でも石垣用の石を切り出した石切丁場が残っています。
江戸城(東京都)の場合
江戸城の石垣を切り出した石切丁場は、神奈川県小田原市や静岡県熱海市・伊東市にあります。
これらの石切丁場は、『江戸城石垣石丁場跡』として史跡名勝天然記念物に登録されています。
萩城(山口県)の場合
萩城の石切丁場は、お城の中にあります。
萩城の背後にそびえる指月山(しづきやま)の、その山頂にあるのが「詰丸(つめまる)」。
要害として麓のお城とセットで周囲を監視し、防御していた山上の城です。
その詰丸に、石切丁場があります。
たくさんの矢穴をあけたままに放置された巨石が残っていて、その姿に圧倒されます。
萩城に行ったらぜひ足を延ばして欲しいポイントです。
まとめ
今回は、大阪城の石垣を例に、どんな石がどこから運ばれてきたのかをご紹介しました。
- 水堀の石垣に最適な「花崗岩」が使われた
- 兵庫県の六甲山山系の山々や、瀬戸内海の犬島や小豆島などの島々で石を切り出した
- 小豆島石丁場跡と東六甲石丁場跡は、『大坂城石垣石丁場跡』として史跡に登録されている
- 石工たちは、石の目を見極めて「矢穴」をあけて巨石を割った
- 大阪城以外のお城にも石切丁場がある
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あなたの近くのお城に石垣があるなら、石垣がどこから運ばれてきたのか調べてみてはいかがでしょう?
興味を持ったことをもっと知りたいと思う好奇心は、あなたを何倍にも成長させてくれるはずです。
知らなかったことを知る楽しさ、発見する面白さを実感してください!
では、また!