もし、お城の石垣を見ただけで築かれた時期が分かったら、お城めぐりが何倍も楽しくなると思いませんか?
今回は、石垣の「ある部分」に注目して近世城郭の築城時期をざっくり判断するコツをご紹介します!
注目する石垣の「ある部分」とは
注目する石垣の「ある部分」とは、「石垣の角の部分=隅石(すみいし)」です。
石垣は構造上、隅石の部分が非常に崩れやすいつくりをしています。
その弱点を補強するために石垣を築く技術は進化し、特殊な積み方が誕生しました。
それが「算木積み(さんぎづみ)」です。
隅石を補強する特殊な積み方「算木積み」
算木積みとは、長辺が短辺の2〜3倍ある細長い立方体の石材を、長辺と短辺が互い違いになるように交互に積み上げた積み方のことです。
この構造が完成したのは、慶長10年(1605)頃と言われています。
近世城郭のはじまりと終わりを定義する
では、天守を備えた近世城郭は、具体的にいつ築かれたのでしょう。
天守のはじまりは、織田信長が天正4年(1576)に築いた安土城と言われます。
ここでは、信長が安土城を築いた1576年を、近世城郭のはじまりと考えます。
そして近世城郭の終焉は、元和元年(1615)でしょう。
この年、徳川幕府は武家諸法度を制定し、お城の新規築城の禁止や改修の制限などを定めました。
それらの制限によって、築城技術の進歩が止まってしまうからです。
ここでは、この安土城の築城と武家諸法度までの間が、近世城郭が築かれた時期と定義します。
その期間は39年間。
この短い間に、日本の城づくりの技術は最高潮を迎え、全国に数多くの城が築かれました。
姫路城や松本城など、現存する12の天守が建てられたのもこの時代です。
その限られた時間の中で、石垣の加工をはじめとする築城技術は飛躍的に進歩しました。
その進歩の象徴が「算木積み」構造なのです。
算木積みのお手本を覚えよう
こちらは徳川時代に築かれた大阪城の石垣です。
大阪城は徳川幕府の重要拠点なので、武家諸法度で築城が禁止されている元和6年(1620)から寛永6年(1629)にかけての時期に、特例的に築かれたお城です。
時代が新しいことから、最新技術でつくられた石垣と考えられます。
ですので、大阪城のこの積み方が、算木積みのお手本であり最終形です。
この隅石の形状をしっかり覚えておきましょう!
この積み方に近いかたちの石垣がより新しく、この積み方からかけ離れているほど古い石垣だと判断することができます。
算木積みからおおよその築城年代を知る方法
算木積みの構造が完成した1605年頃は、関ヶ原の戦い後のことです。
近世城郭が築かれた1576〜1615年の39年間は、関ヶ原の戦いの前後の期間ということになります。
算木積み構造まであと少しの発展途上の石垣 → 関ヶ原の戦い”前”
算木積みが確立した石垣 → 関ヶ原の戦い”後”
このように考えると、大まかに築城時期が判断できるのです。
関ヶ原の戦いは1600年とキリのいい数字なので、1600年より前なのか後なのかと判断できますね。
いろいろなお城の隅石を見比べてみよう
では、これからいくつかのお城の隅石部分をご紹介します。
お手本の大阪城の石垣と比較しながら見てみましょう!
隅石にご注目ください
大阪城(大阪府)
こちらは算木積みのお手本となる、大阪城の石垣です。
この算木積みのかたちと、ほかのお城の隅石の構造を比べてみてくださいね。
では、スタートです!
越前大野城(福井県)
越前大野城は、雲海に浮かぶ天守の姿が美しい天空の城です。
隅石の部分に注目すると、崩れやすい角の部分に大型の石材を使う工夫をしていますが、算木積みとは全くかけ離れた構造をしているのが分かるでしょう。
この隅石の構造から、関ヶ原の戦いよりもさらに前に築かれた城だということが判断できます。
この石垣は、信長が安土城を築いた天正4年(1576)と同じ年に、信長の家臣:金森長近(かなもりながちか)が築いたものです。
有子山城(兵庫県)
こちらは、私が日本一好きな有子山城の石垣です。
越前大野城よりも立方体の隅石を使って角を補強していますが、算木積みとはまだ言えません。
こちらも関ヶ原の戦いよりも前で、越前大野城の石垣よりは新しい石垣だと判断できるでしょう。
有子山城の石垣は、天正8年(1580)に秀吉の弟:羽柴秀長が石垣の城に改修したときに築かれたものです。
津城(三重県)
こちらの津城の隅石はどうでしょう。
立方体の隅石を使い、なんとなく長い石材と短い石材が交互に積まれているように見えますね。
まだ算木積みとしては確立していませんが、確実に進化しているのが分かります。
この石垣は、天正8年(1580)に信長の弟:織田信包(おだのぶかね)が築いたものです。
有子山城と同じ年につくられていますが、形状は津城の方が整って見えます。
城主は信長の弟ですから、権力者ほど技術力の高い石工集団を雇うことができたのかもしれないと想像できます。
岡山城(岡山県)
こちらは岡山城にある、宇喜多秀家が慶長2年(1597)までに築いた石垣です。
石垣の基礎部分に添わせて隅石が築かれているため、角の部分が緩やかな角度をしているのが特徴的。
隅石に長短の立方体の石材を互い違い配置していますが、まだまだ算木積みは確立していないので、関ヶ原の戦い以前の石垣と判断できます。
姫路城(兵庫県)
世界遺産:姫路城の石垣の大部分は、慶長6年(1601)から行われた池田輝政(いけだてるまさ)による大改修で築かれたもの。
こちらの画像は「扇の勾配」と呼ばれる、城内で最も美しい曲線を描く整った石垣です。
明らかに算木積みの構造をしているので、関ヶ原の戦い後と判断できます。
大天守が完成したのが慶長14年(1609)ですから、算木積み構造が完成したあとの石垣でしょう。
津城(三重県)
こちらも津城の石垣ですが、前述の津城の形状よりも進化しているのがわかるでしょう。
この石垣は、慶長16年(1611)に築城の名手:藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた、津城の北側の石垣です。
このように同じお城でも、石垣の積み方に違いがあることがあります。
この場合、のちの時代に拡張や改修工事を行ったかも……と想像する余地があります。
江戸城(東京都)
江戸城の石垣は、慶長11年(1606)年から天下普請で築かれました。
徳川幕府の総本山とも言えるお城ですので、門の周辺や天守台には、もっとも技術力と時間が必要な「切り込み接ぎ」の石垣が使われています。
切り込み接ぎの石垣でも、隅石の部分はきちんと算木積みの構造になっていますね。
隅石に注目すると、技術の進歩がよく分かるのね!
そうなんです。魅力的な石垣を見つけたら、ぜひ隅石の部分を見比べてみてくださいね!
築城時期を判断するときの注意点
- 正確な築城年を知りたい場合には、この方法では対応できません。
- ほかのお城の石垣をリサイクルして利用していることがありますので、判断を間違う可能性があります。
- 近世のお城ではなく、古代や中世のお城の場合、古いのは判断できますが関ヶ原の戦いよりどれくらい前なのかは確定できません。
この算木積みの形状で築城時期を判断する方法は、関ヶ原の前なのか、後なのかなどの、ざっくりとした築城時期しか判断できません。
ご注意ください。
まとめ
ざっくりとした築城期間を知るために、石垣の見方をご紹介しました!
- 「石垣の角の部分=隅石」に注目する
- 隅石を補強する積み方「算木積み」の構造を知る
- ここでは、近世城郭の期間を1567年から1615年の39年間と定義する
- 算木積みのお手本の石垣(大阪城)を覚える
- 算木積みの構造から、関ヶ原の戦い(1600年)の前後を判断する
- いろいろなお城の隅石を見比べてみる(実践してみましょう)
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ご紹介したこの方法でも、築城時期が判断できない例はもちろんあります。
それでも、A城とB城を比べてどちらが古い城なのかを判断するには有効な方法です。
算木積みの構造だけでなく、積まれている石材の加工度合いや、石垣の高さも含めて判断すれば、その精度はさらに増すことでしょう。
道具も使わず自分の五感で、大まかにでも時代が判断できたら、すごく嬉しい♡
学生時代の「試験対策の学び」ではなく、見て触れて感覚を総動員して感じることこそが、真に「歴史を学ぶ」ということではないでしょうか。
お城は、歴史そのものです。
技術の進化を五感で触れて、歴史の奥行きを味わい尽くしてみましょう!
では、また!
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