お城に行ったら、まずはどこを目指しますか?
もちろん天守閣です! お殿さま気分を味わいたくて♡
今回は、お城で大人気の「天守」について、お城ビギナーさんの疑問にお答えしながらご紹介します。
天守と天守閣は違うの?
あなたは、お城の石垣の上にそびえる高層の「あの建物」を何と呼ぶでしょうか。
「天守」? それとも「天守閣」?
天守と天守閣は、同じあの高層建造物を指しますが、古い文献や絵図に使われているのは「天守」です。
なかには天主・殿守・殿主との記載もありますが、どれも読み方は「てんしゅ」。
学術用語として「天守」を採用しているそうです。
「天守閣」という名前は、「楼閣建築から天守が生まれたという考えのもとで造られた造語」で、幕末以降に使われるようになった俗語なのだそう。
俗語とは言え「天守閣」のほうが馴染みがあるのはなぜだろう?
そうですね。この「天守閣」の呼び名をメジャーにしたのは、なんと大阪城。
現在の大阪城の天守は、昭和天皇の即位記念として昭和6年に完成したコンクリート造りの建物で、内部は博物館になっています。
その建物の名前が「大阪城天守閣」。
一説には、大阪の人気観光スポット「通天閣」のマネをしたと言われています。
天守閣と言うと、観光地をイメージするのは、大阪城天守閣のおかげなのかもしれません。
天守でも、天守閣でも、呼び名なんて分かればどちらでもいいのですが(笑)
お城好きのあなたなら「天守閣」ではなく、ぜひ学術用語の「天守」を使ってみませんか。
お城関係の書籍では「天守」で統一されています。
天守がないお城もあるの?
お城というと天守をイメージされる方は多いことでしょう。
けれど天守は、お城の中の「ひとつのパーツ」に過ぎません。
自動車で例えると「お城」は「自動車そのもの」です。
そして「天守」は、「エアロパーツ」のようなもの。
サイドミラーやワイパーがなければ車検は通りませんが、例えば、リアウイング(自動車のうしろに付いた羽のようなもの)を付けなくても、車を走らせることができます。
「エンジン」や「タイヤ」などの心臓部にあたるお城のパーツは「館・御殿」や「堀」・「石垣」でしょうか。
つまり、天守はお城にとって必須のアイテムという訳ではないのです。
ですので、天守のないお城はもちろんあります。
と言うよりむしろ、天守のないお城の方が多いくらいです。
お城の歴史の中で、天守が登場したのは実はつい最近のこと。
お城のはじまりは、2000年以上も前の弥生時代の環濠集落にさかのぼります。
飛鳥時代の古代山城に、奈良や平安時代の城柵や、南北朝時代の山城など、時代の変化にあわせてお城のつくりも進化して今があるのです。
詳しくはお城の歴史の記事をご覧ください
お城に天守が築かれる時代になっても「諸事情」によって、天守台だけつくって天守は建てていないお城もあります。
その諸事情についてはまた別の記事でご紹介しますね。
天守がなくてもお城は「お城」です。
天守はいつからあるの?
天守がいつから築かれるようになったのかはわかっていませんが、お城の権威を見せつける「シンボル」としての天守のはじまりは、織田信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)の「天主」です。
安土城に限り「てんしゅ」は「天主」と表記されます。
安土城の築城は天正4年(1576)ですので、天守のはじまりは、わずか440年前ということになります。
それまでの城にも、井楼(せいろう)という物見櫓のような高層建築物や、3階や4階建ての大型の櫓はありました。
さらに、信長が安土城の前に暮らしていた岐阜城(岐阜県)にも、明智光秀の築いた坂本城(滋賀県)にも、荒木村重の有岡城(兵庫県)にも天守があったと史料は伝えています。
けれどその巨大な建物を城内の一等地に築き「てんしゅ」と呼ばせたのは信長の安土城が初めてのこと。
信長と、信長のあとを受け継いで天下統一をはたした豊臣秀吉によって、天守は政治的な意味合いを持つ「権威の象徴」の建物として全国に定着しました。
天守はお殿さまの住まいだったの?
お城に天守があったなら、最上階まで登って景色を眺めたいと思うはず。
お殿さま気分で「余は満足じゃ♡」と言ってみたいものです。
「お殿さまは、天守に住んでいた。城主だからこそ、この雄大な景色を見ることができるのね。ロマンだなぁ〜」なんて、お城めぐりをするようになるまで、そう思っていました。
でも実は、天守は城主であるお殿さまの住まいではないのです。
信長は、自身の住まいとして天主をつくりましたが、信長以降の城主たちは天守を住まいにすることはありませんでした。
城主は天守ではなく、「御殿」や「館」と呼ばれる住まいを別につくり、政治と生活の拠点とします。
この「豪華絢爛な空き家」とも言える天守は、人が住むことがなくても全国にたくさんつくられました。
豪華絢爛な空き家! なるほど、まさにその通り!
天守はどんな働きをしていたの?
お殿さまも住まないのに、どうしてこんなに大きな建物が必要だったの?
そうですね。
天守には、4つの役割がありました。
1つ目は、城内外の監視のための、物見櫓としての役割です。
2つ目は、最終の防御設備としての機能。つまり、最後の砦・籠城場所としての働きです。
3つ目は、武器や食料・資金の備蓄場所としての倉庫的な役割です。
そして4つ目は、権威の象徴。天守は城の権威のシンボルとして継承されました。
この4つの役割からもわかるように、天守は「戦い」のための建物です。
そのため非常事態でない限り城主が天守に入ることはなかったと言われています。
城主が天守に入らなければならないのは、敵に攻め込まれて籠城をするときか、もしくは切腹をする最期のときでしょう。
敵に天守が落とされたら、すべてが終わってしまうのです。
どこのお城の資料で見たのか忘れてしまったのですが、新築した天守をお殿さまが見学したときに、その殿が歩いたルートを朱色の線でたどった天守の図面を見たことがあります。
そのくらい、城主が天守に入ることは稀だったようです。
現存する12の天守のつくりを見ると、天守が最後の、最終の防御施設だということがよくわかる設備がいくつもあります。
詳しくは別の記事でご紹介しますので、ご覧ください。
まとめ
- 天守と天守閣は同じものを指すが、「天守」は学術用語で「天守閣」は俗称
- 天守はお城の必須アイテムではないので、天守がないお城はたくさんある
- 天守は、お城の権威を示すシンボルとして、織田信長が安土城に築いた天主がはじまり
- 天守は城主の住まいではなく、城主は御殿や館などの居館で暮らしていた
- 天守の役割は、①物見櫓②最終の防御設備③武器や食料・資金の備蓄場所④権威の象徴
いかがでしたか?
天守ひとつにしても、知らないことがあるものです。
知った上でお城を見てみると、また新しい発見と疑問が浮かんでくることでしょう。
好奇心のアンテナをぐんぐん伸ばして、お城めぐりを楽しみましょう!
では、また!