弥生時代|なぜ環濠集落はつくられたのか?

吉野ヶ里遺跡(佐賀県)

弥生時代は、考古学の見地から、紀元前5世紀から紀元後3世紀後半の時代と考えられてきました。

平成15年(2003)の国立歴史民俗博物館による炭素年代測定によって、北九州エリアで水田稲作が始まったことが解明されました。

水田稲作の伝来によって時代を区分すると、弥生時代は紀元前10世紀後半からはじまるとされるようです。(情報元:)

視点は異なりますが、調査方法の科学的進歩によって、弥生時代が500年も早くはじまったと解明されました。

弥生時代は、今後の新発見によっては時代区分が変化する可能性がある、まさに未知数の時代です。

そして「お城のはじまり」と言われる「環濠集落」が弥生時代につくられました。

↓詳しくはこちらの記事でご紹介しています↓

疑問:なぜ弥生時代に環濠集落がつくられるようになったのか?

大阪府立弥生文化博物館/水田稲作の様子

弥生時代の象徴とも言える「水田稲作の伝来」によって、安定した食料を確保できるようになります。

つまり、縄文時代とは異なり、定住して安定した暮らしができるようになったということです。

暮らしが安定したにも関わらず、軍事施設である「お城」の役割を持った環濠集落がなぜつくられたのか、それがとても気になります。

なぜこの時代、環濠集落がつくられるようになったのでしょうか?

野口
今回はこの点について、独自の目線で時代考察をしたいと思います。

独断と偏見の時代考察です。あらかじめご了承ください。

縄文時代を考察する

弥生時代を考えるとき、その前の時代の縄文時代と比較することが多いと思います。

縄文時代は「狩猟」が生きるための手段ですから、獲物がなくなれば他の場所に移り住む、移住生活をしていました。

獲物がすぐに見つけられるように、小高いところに竪穴式住居をつくったり、生きていくために必須の水がある水辺近くで暮らしていたそうです。

青森県の三内丸山遺跡では、それまでの縄文時代のイメージを大きくくつがえす大発見がありました。

こちらの遺跡では、移住生活ではなく、人々が定住して暮らしていたことがわかったのです。

そして発掘されたものから、遠くは北海道に暮らす人々と、物々交換で交易をしていたこともわかってきました。

縄文時代は狩猟中心なので「狩猟=血生臭い」と、安易に凶暴なイメージをつくり上げていました。

それが三内丸山遺跡のように、定住して、それも大人数で暮らしていたというのですから、ダークなイメージは修正しなければなりません。

弥生時代を考察する

大阪府立弥生文化博物館/環濠集落の模型

弥生時代を想像するとき、まず頭に浮かぶのは、水田稲作文化です。

稲作というと、ムラの人々が協力し合い農業にいそしむ……そんな穏やかでのどかなイメージが私にはありました。

縄文時代:狩猟=肉食系
弥生時代:稲作=草食系
……と、短絡的に想像していたのです。

けれど実は、その稲作文化の広がりによってムラ同士の激しい争いが盛んになりました

「スダレ遺跡(福岡県)」で発見された「石製の剣が刺さった人骨」を知ったときは、稲妻が走るほどの衝撃を受けました。

そんな出土品からも、確実にこの時代には武器を使うほどの激しい争いがあったことがわかります。

私の結論:人々の暮らしと財産を守るため

吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡で再現された高床式倉庫

「なぜ環濠集落がつくられたのか?」の答えは「人々の暮らしと財産を守るため」と考えます。

稲作によって米が実り、それを蓄えることで、米は「財産」になります。

その財産(米や収穫物)を守るためにつくられたのが「高床倉庫」です。

高床倉庫に備えた「ねずみ返し」の名前のように、はじめ財産を脅かす対象は動物たちだったのかもしれません。

けれど、財産を奪おうとする敵は、動物たちだけではありませんでした。

しだいに動物よりももっと恐ろしい、ヒトが相手になっていきます。

稲作が盛んになると、収穫量の違いから、みんなで分かち合い暮らしていた縄文時代にはなかった、貧富の差が生まれてゆきます。

収穫量の違いは土地や水の善し悪しに左右されるので、稲作に適した土地や水をめぐる争いが起こります。

弥生時代は、稲作によって安定した暮らしがもたらされた反面、人々が利権のために傷つけ合う争いの時代でもありました。

このような争いから、人々の暮らしの安全と財産を守るためにつくられたのが、防衛機能を持つ環濠集落なのです。

まとめ

人々の暮らしと財産を守るため、何kmもの濠をめぐらせた環濠集落。

機械も何もない時代に、どれだけ大変な工事だったことでしょう。

けれど、どれだけ工事が困難だったとしても、守りたいものが、守りたい暮らしがあったのです。

稗田環濠集落(奈良県)/奈良県HPより

環濠のつくりは、弥生時代以降もお城づくりの要として後世に引き継がれました。

奈良県大和郡山市には、室町時代につくられたという「稗田(ひえだ)環濠集落」があります。

こちらの環濠は、現在では用水路として利用され、その環濠の内側には民家が立ち並び集落が形成されています。

弥生時代に編み出された環濠の仕組みが、人々に継承され今なお活用されている……。

そう思うと、とても特別な景色に見えてくるから不思議です。

野口
環濠集落を訪れて、2000年の時を超えて受け継がれながら存在する、お城の奥深さを味わってみませんか?

独断と偏見の自由な時代考察をお送りしました。あらかじめご了承ください!

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では、また!

この記事を書いた人

お城カタリスト