二条城お散歩ツアー|開催しました

二条城
二の丸御殿

12月10日(日)、二条城をお散歩しながらめぐる、お城案内ツアーを開催しました!
二条城は、徳川将軍の京都での宿泊所の役割をしていたお城。
慶長8年(1603)、家康はこのお城で征夷大将軍就任の祝宴を行い、慶応3年(1867)に慶喜がここで大政奉還を宣言します。そして今年は、大政奉還から150年の節目の年です。
徳川家のはじまりと終わりを見届けた二条城で、歴史とお城のつくりを体感します。

二条城

寒い中、お二人の方がご参加くださいました。ありがとうございます!
お一人は京都にお住まいですが、二条城は子供のころに来て以来とのこと。もうお一人は初めての二条城ということでした。いつでも行けるから……と思われるからか、意外に地元の方ほど近くのお城に行かない方が多いようです。
「二条城ってお城だったの?」と当初から驚くお二人。ご案内するのが楽しみです。

二条城

日暮門とも言われる「唐門」は、鶴や獅子、牡丹に虎など様々な彫刻が施されています。
寛永3年(1626)の後水尾天皇の行幸に合わせて、3代将軍の家光がつくらせた豪華な門です。

二条城

厚さ20cmの1枚板に施された欄間の彫刻に、お二人はとても感心しているご様子でした。
「見える徳川権力」の象徴として造られた唐門は、まさに豪華絢爛な美しい門。
見とれてしまいますが、日が暮れないうちに中に入ってみましょう。

二条城

二の丸御殿の「車寄」(手前)と「遠侍」(奥)。いずれも国宝に指定されている建物です。
車寄は、公家の使う牛車がそのまま中に入れるよう、天井が高くつくられています。
靴を脱ぎ履きするスペースですが、ぜひ天井の高さも実感してくださいね。
6つの国宝建物から形成される二の丸御殿に入場して、お部屋の隅々まで堪能します。
(二の丸御殿は写真撮影ができません。じっくり眺めて記憶に残しましょう。)

二条城

その後は二の丸庭園へ。
有名な作庭家で茶人の小堀遠州作と伝わる池泉回遊式庭園は、二の丸御殿のメインの部屋である「大広間」と「黒書院」から眺められるよう設計されています。
二の丸御殿側から眺めると武家風の男らしい庭の表情ですが、天皇の行幸の際に建てた行幸御殿側からは公家風の雅びな庭として楽しめるよう「三方よし」の庭になっているそう。
現在はそのエリアに入場はできませんが、ぜひ別角度の二の丸庭園も眺めてみたいものです。

二条城

こちら、何かわかりますか? 実はこれ、蘇鉄(そてつ)です。
南方植物の蘇鉄は寒さに弱いので、冬の間は「こも」という稲わらでつくったシートで覆われています。この景色が観られるのも今の時期だからこそ。二の丸庭園の冬の風物詩ですね。

二の丸から移動して、本丸へ。本丸は、二の丸の優雅な雰囲気から一変します。
二条城というと二の丸御殿のイメージですが、私が観てもらいたい二条城は、この本丸の防御機能を備えた、まさに「城」のつくりです。
「やっぱり二条城はお城だった!」と体感できるエリアではないでしょうか。

二条城

本丸には、伏見城から移築された5重5階・地下1階の天守があったと伝わります。
行幸の際には後水尾天皇が2度天守に登られ、二条城が天皇が登った唯一の城と言われます。
上の写真は天守台から本丸西虎口方向を眺めた景色。
天守台の石垣が欠けている部分がわかりますか?これは「銃眼」という鉄砲狭間のように使うもので、全国でも江戸城・大阪城・岡山城と二条城の4カ所にしかない防御設備です。

二条城

本丸西虎口方向から天守台を眺めて。
天守台の石垣の高さは18m。そこに26mの高さの天守があったそう。つまり石垣と合わせると44mもの高さになります。44mというと、11階建のビルくらいの高さでしょうか。
高さ制限のある京都なので、天守があったら今でも京都中から眺めることができたでしょう。
イメージを膨らませてお城を眺めると、お城はさらに楽しくなります。

ご参加のみなさま、ありがとうございました!

野口

身近なお城を知って、お城から地元の素晴らしさを再確認してみませんか。お城を知る前よりも、お城と地元に対する愛着が倍増しますよ。

この記事を書いた人

お城カタリスト