熊本城の「今」の姿をご存知ですか?
2016年4月に起きた、熊本地震。
地震の一報のあと、時間を置かず飛び込んできた熊本城の姿は、あらゆる石垣が崩れ落ち、櫓や塀が崩壊するという、とてもショッキングな映像でした。
地震の前年に見た熊本城の記憶が鮮明に残っていたので、その荒れ果てた姿は目をそらしてしまうほどに、受け入れたくない悲しい情景でした。
震災から2年の熊本城は、どんな状況なのだろう……。
この目で現実を確かめたくて、お城の「今」を知りたくて、私は熊本に向かいました。
熊本城は、現在、地震の影響で城内の多くの部分に立ち入ることはできません。
けれども、二の丸広場や加藤神社など、お城周辺から天守や櫓・石垣の様子が見られます。
「桜の馬場 城彩苑」から城外をぐるりと1周まわる見学コースで、熊本城を歩きました。
熊本城の見学コースを歩く
飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)
はじめに目にしたのは「飯田丸五階櫓」の、鉄骨の足場に覆われた姿。
飯田丸五階櫓は、地震直後の報道でも「一本足の石垣」と注目を集めた建物です。
地震の衝撃で石垣が崩れ、石垣の角の「算木積み」部分だけが残って、どうにか櫓を支えていたという奇跡的な状況でした。
その石垣と櫓を支えるかたちで鉄骨が組まれ、補強工事と修復工事が行われている模様です。
未申櫓(ひつじさるやぐら)
次に目にしたのは「未申櫓」。2005年に復元された建物でした。
ここはどうにか無事だったか! と胸をなでおろしましたが……。
よく見てみると石垣だけでなく、続櫓や塀も崩れているのがわかります。
元太鼓櫓(もとたいこやぐら)
衝撃的だったのは「元太鼓櫓」の様子。
この無残な姿は、震災直後から時間が止まっているかのようでした。
斜めに傾いた櫓、はがれた白漆喰の壁、ひしゃげた姿で倒れた塀と崩壊した石垣……。
そこは、まるで戦場のよう。
自然の力強さと、恐ろしさを実感し、ただ立ちつくすことしかできませんでした。
二の丸広場
二の丸広場からは、宇土櫓と再建工事中の大天守・小天守の姿を見ることができます。
小天守はまるで浮き上がっているかのような容姿で、鉄骨に支えられていました。
日本の技術力を集結させて、熊本城の再建工事は進められています。
天守群は、2019年の秋頃までに外観を元の姿に戻して、2021年の春には天守内部が公開できるよう修復作業を行なっているそう。大林組さん! 頑張ってください!!
石垣の保管場所
空掘や城内の空いたスペースには、崩落した石垣を回収して保管している場所がいくつもあります。石垣の表面の石は、元の石垣の場所に戻せるようナンバリングをして保管します。
丸みを帯びた裏込の「栗石」や、石垣表面を埋めるための角張った「間詰石」は、分類して保管され、積み直し工事に備えています。
「石垣こそ文化財」という思いがあるからこそ、手間のかかるこの作業もされているのだと思うと、頭が下がります。本当にありがたいことです。
戌亥櫓(いぬいやぐら)
「戌亥櫓」は2003年に復元された、北西(戌亥)方向に位置する三階櫓。
破風と石落としが立派な隅櫓です。裏手には大天守と宇土櫓の姿も見えます。
戌亥櫓の周囲の石垣は、大規模なエリアで崩れ落ちていました。
震災後は、飯田丸五階櫓と同様に、算木積みの石垣部分の一本で建物を支えている状態です。
その一本足の石垣を、戌亥櫓の足元で間近に眺めることができます。ぜひご覧ください。
加藤神社
「加藤神社」は、熊本城の城主だった加藤清正公を祀る神社です。
復興の願いを込めて、御朱印をいただきました。
ここからは、宇土櫓と、大天守・小天守の修復工事の様子を間近でみることができます。
井戸
加藤神社をあとに、棒庵坂を下って歩きます。
熊本城では、たくさんの井戸を目にすることができます。
それは、慶長の役で朝鮮に出兵した清正が、蔚山倭城(うるさんわじょう)で味わった、苦しい籠城戦を教訓に、もしもの籠城に備えて井戸をつくったからと言われています。
清正がつくった井戸の数は、なんと120! 今いくつ残っているのか探してみましょう。
東十八間櫓・北十八間櫓
高い石垣を堪能しながら「平櫓」を経由して「東十八間櫓」と「北十八間櫓」へ向かいます。
東十八間櫓と北十八間櫓は、築城当時から残る櫓で国指定の重要文化財です。
櫓があったはずですが、今は建物の姿が見えません。石垣も大きく崩落しています。
石垣部分はこれ以上の崩壊がないように、モルタルを吹き付けて金属製のネットで覆われていました。建物部分は、倒れた建物の建築部材を回収し、土壁も再利用する部分としない部分に分類して保管しているそう。
この櫓たちは国の重要文化財なので優先的な修復工事が計画されているのかもしれません。
崩れ落ちた木材や石垣を回収して保管することで、復興に備えているのでしょう。
熊本市役所:展望スペース
熊本大神宮、熊本城稲荷神社と「須戸口門」を経由して、熊本市役所へ向かいます。
市役所の14階は展望スペースから、熊本城全体を眺めることができるのでおすすめです。
平日は8:30〜22:00、市役所がお休みの日でも9:00〜22:00まで見学できます。
外からは見えない本丸御殿や、ほかの建物群の様子が確認できます。
近所の方なら、定期的に同じ場所で写真を撮って、熊本城の復興の歴史を「タイムラプス動画」にするのもいいでしょう。お近くの方、ぜひつくって見せてください!
長塀(ながべい)
市役所から熊本城側へ戻って「長塀」沿いを歩きます。こちらも国の重要文化財です。
242mと日本一長い塀だったこの塀も、地震の影響で80mが崩壊しました。
修復に向けての解体が行われたようで、現在は石垣だけの姿になっています。
こちらは震災前年の長塀の様子。下見板張りと白漆喰の美しい塀が、長く続いていました。
未申櫓(ひつじさるやぐら)
そして最後は「未申櫓」。
崩壊した石垣から流れ出たような栗石の姿に、改めて地震の大きさを感じます。
左手の熊本城と書かれた石碑は、地震の影響で土台からねじれるように動いてしまったそう。
震災から2年の熊本城を訪問して
お城の外周をぐるりと回るコースで歩きました。
外側から見ただけでも、あちこちの石垣が崩れ、塀は倒れて、櫓も崩壊していました。
外側がこの状態ならば、城内はどれほど悲惨な様子だろうと想像すると、胸が痛みます。
完全な修復のためには、外観だけでなく建物の内部の修復も不可欠です。
崩壊した石垣を修復することは、文化財としての視点だけでなく、安全面から考えて必要なことと思います。
熊本市は20年間を目標に熊本城の再興を計画していますが、果たして「再興」とはなにか、どのレベルまで修復することが「再興」なのかと考えさせられました。
震災後の熊本を訪れるまで、熊本城が早く元通りになって欲しい、よみがえって欲しいと強く思っていました。けれど、想像以上に崩壊する熊本城と自然災害の恐ろしさを目の当たりにした今では、お城を「元通り」にすることが、本当に大切なことなのかと疑問に感じました。
熊本城を「元通り」にして未来にバトンをつなげることが、本当に次の世代の人のためになるのだろうか。熊本城の復興の前に、助けるべき人がいるのではないか。
人は欠けたところを埋めようと「完璧」を求めがちだけど、果たしてそれは正解なのだろうか。ぐるぐる疑問が駆けめぐります。清正公なら、どんな答えを出すのだろう……。
悩んでも悩んでも、まだ答えは出ません。
それでも私は、今年も募金をします。
微々たるお金だとしても、資金があれば選択の幅が広がると思うからです。
そして復興までの20年は、何度も熊本城に行くつもりです。
震災の影響を受けたリアルな姿だからこそ、感じるもの・伝わるものがあるはずです。
熊本城の現実をその目で見て、五感で感じることが何よりの「心の募金」だと思います。
熊本城をどのように再興するのか、どのような形で次の世代につなげていくのか……熊本城の「今」の姿から、文化財を復元することの意義や責任について、考える機会になって欲しい。
最後になりましたが、被害に遭われたみなさまへ、心よりお見舞い申し上げます。