外観が黒い天守と白い天守があるのはなぜだろう?
天守はもちろん同じではなく、まさに唯一無二のつくりをしています。
特に外観は、そのお城のイメージを大きく左右する要素なので、破風や窓のつくりなどを工夫して、多彩な表情をつくり上げています。
天守の構造の違いだけでなく色彩でも違いを生み出そうとしたのには、どんな意図が隠されているのでしょう。
黒は豊臣の城? 白は徳川の城?
天守の色の違いは、お城を築いた城主の違いと言われることがあります。
例えば、黒い天守は豊臣方の城で、白い天守は徳川方の城だという考え方です。
松本城や岡山城・広島城など、豊臣方に黒い天守が多いのは確かです。
果たして、この見方は本当なのでしょうか?
今回は黒い天守と白い天守の構造の違いとその意図を解明してみたいと思います。
黒い天守の正体
黒い天守の外観は、どんな構造でできているのでしょうか。
その正体は「下見板張(したみいたばり)」という外壁です。
松の根や枝を燃やして作った「松煙(しょうえん)」と呼ばれる煤(すす)と、渋柿の青い果実から絞りとった「柿渋(かきしぶ)」という液体を混ぜた墨を、木製の板に塗り込み「下見板(したみいた)」をつくります。
その下見板を使った外壁が、下見板張です。
これによって、柿渋の防虫剤効果も相まって、防腐性・防水性に優れた外壁が完成します。
全国の天守や櫓の半数は、この下見板張の外壁構造です。
自然由来の成分から効果的な建築材を創り上げる先人たちの知恵は、なんと素晴らしいのでしょう。
下見板張には、もちろんメリットばかりでなく、色の劣化というデメリットがあります。
墨を塗った直後の下見板は真っ黒ですが、風雨に長くさらされることで少しずつ色落ちします。
時間の経過でセピア色に色あせる下見板張は、歴史あるお城の貫禄にふさわしいと思うのですが……
耐久性が高くて経済的でも、少し見栄えが悪くなる点を短所ととらえる方もいるようです。
白い天守の正体
一方の、白い天守の正体は「塗籠(ぬりごめ)」という外壁です。
塗籠は、分厚い土壁の仕上げに、消石灰に糊を加えて水で練った「漆喰(しっくい)」を薄く全面に塗ってつくられた白壁です。
漆喰は、防水効果だけでなく防火性に優れた特性を発揮します。
今のように高層建造物がなかったその昔、天守は落雷の標的になりやすかったのです。
大型の木造建造物である天守の焼失と延焼を防ぐことは、お城を代々受け継いできた城主たちの願いだったのでは? と考えると、漆喰の採用は待望の出来事だったのではないでしょうか。
塗籠の場合、風雨によって土壁の上に塗られた薄い漆喰の膜が剥がれ落ち、下地の土壁が出てしまうというデメリットがあります。
塗籠の白い壁を維持するためには、定期的に漆喰を塗り直すメンテナンスの時間と費用が必須なのです。
天守の色と城主の性格の関係性
下見板張と塗籠のどちらの外壁を採用するかは、この長所と短所の特性を踏まえた城主の判断と好みで決められたと考えられます。
すると、黒と白の天守の違いを「城を築いた城主の違い」と考えるのは、あながち間違いではないかもしれません。
豊臣秀吉は、主君である織田信長が採用した黒い天守を模倣した可能性があります。
けれど、この二人が黒い天守を選んだ一番の理由は、金箔が施された屋根瓦の「金箔瓦」の存在だと思うのです。
「魅せる城」の権威の象徴として強烈なインパクトのある金箔瓦を、さらに効果的に見せるために、金色の映える黒い天守を採用したのではないでしょうか。
防火性が高くとも、白い天守では金箔瓦の美しさを最大限に発揮できないと思うからです。
信長の安土城や秀吉の大坂城は、豪華な黒漆塗りの下見板で、さらに重厚感のある天守をつくったそうですよ。
徳川家康は、『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』の句で表現されるように、幼少期から人質生活が長かったこともあり、忍耐強く倹約家であったと言われています。
メンテナンスに時間と費用がかかったとしても、それ以上に労力をかけて築いた天守を存続させるためには合理的だと考えて、防火性の高い塗籠を、つまり白い天守を採用したのかもしれません。
まとめ
塗籠は、とても手間のかかる外壁です。
2018年の台風21号では彦根城の多聞櫓が、2019年の台風21号では大阪城の大手門付近の白壁など多くの文化財が被害を受けました。
漆喰と土壁の隙間に風雨が入り込むことで、漆喰は剥がれ落ちやすくなるようです。
白壁の下部に下見板を組み合わせた外壁のほうが漆喰は剥がれにくいので、メンテナンスしやすいのでは? と個人的には思いますが、国指定の史跡は、壁ひとつでも安易に作り替えることができない事情があるのです。
下見板張と塗籠の外壁は、天守だけでなく櫓や塀などお城の至るところで使われています。
築城から400年を超えるお城の建造物は、経年劣化と自然災害の恐怖に日々さらされている状況です。
被害を受けたままにしておいては、その部分だけでなく建物全体に影響を与える恐れがあります。
また、闇雲に修理するのではなく、文化財保護の観点からも、つくられた時代の技術や方法にも配慮して修繕されているのです。
そんな風にメンテナンスされていると思うと、ますますお城ってすごいなと思いませんか?
お城を守り残していくことは、とても根気のいる尊い行動なのです。
彦根城の多聞櫓の被害については、↓こちらの記事をご覧ください。
では、また!