お城には人生を変えるチカラがある!
お城カタリストの野口です。お城のチカラを自己開示しながらご紹介しています。
私が、お城に出会ったきっかけは「不妊」でした。
ふつう、お城好きな方や城郭研究をされている方なら、子どもの頃から大好きだったと言うところでしょうが、私の場合は不妊です。
お城と不妊がどうして結びつくの?と、驚かれたかもしれませんね。
それでも、私のお城との出会いは不妊がきっかけだったのです。
今回は、お城に出会ったきっかけの、私の不妊経験をご紹介します。
大好きな主人と結婚して、関東から関西にお嫁に来た私は、バツイチです。
こんなに穏やかな新婚生活は初めてで、毎日が楽しくて、大阪での暮らしも新鮮で、幸せで満たされていました。
その反面、一度離婚を経験をしているからこそ、もう失敗はできないと必死でした。
早く完璧な家族にならないと……と思っていたのかもしれません。
小さい頃から子どもが大好きだったので、早く子どもが欲しいと思っていました。
それなのに。わが家にコウノトリは一向に来る気配がありません。
年齢的なこともあって、婦人科に相談して不妊治療をすることにしました。
タイミング法からはじまり、人工授精を何度も行い、それでもダメで体外受精へ。
並行して行う薬物療法の負担も大きくて、精神的・肉体的に苦しい日々でした。
ストレスが治療に影響するからと、ポジティブでいるよう気分転換しながら、今度こそ、今度こそと凹んでも何度も前向きになって、治療を重ねました。
私の場合、体外受精で2回は胚培養の段階にまで達したけれど、2回とも細胞分裂が止まってしまい、胚移植できるレベルにまで細胞が成長しないのだそう。
つまり、細胞が成長しないので胚移植ができず、結果妊娠できないということです。
なので、私の知っている私の赤ちゃんは、この細胞です。
上の画像の4日後には、すべての細胞が小さくなって消えてしまったそうです。
治療が精神的・肉体的に辛くても、協力して支えてくれる主人もいるし、頑張ったらなんとかなると思っていました。
でも、細胞分裂を促進するような治療分野が確立していない現状の中、細胞レベルの欠陥だから妊娠は難しいと言われたら、もう諦めるしかないなと。
頑張っても足掻いても、自分ではどうにもできないことが、残念だけどありました。
治療も辛かったけれど、治療をやめる決断をするのはもっと辛かった。
治療をやめる=治療してもダメな欠陥商品の私、のように思ってしまって、自分をひどく傷つけた。蔑んだ。
何を見ても悲しくて、苦しくて、人にも会いたくない、どこにも行きなくない、何もしたくないと、しばらくはベッドから起き上がれませんでした。
空っぽでした。
心に大きな穴が空いて、空気が抜けた風船みたいに、気力がなくなっていました。
テレビを見ても、赤ちゃんのオムツCMを見るだけでも涙が出てくる。
そんなつもりでない人の言葉も、攻撃と受け取って傷ついたり。
子孫も残せない私は何のために生まれてきたのだろうと、死まで頭をよぎりました。
今でも、まだ完全に心の傷は癒しきれていないようです。
記事を書きながら、何度も込み上げてくるものがありました。
それでも、当時の私と、今の私は違います。
自分を最低な人間だと蔑んで、自分が大嫌いで全否定していた私とは違います。
いいところだけでなく、ダメなところも欠点も、私の特徴のひとつと思えるようになりました。
完璧でない私だからこそ、味がある、魅力があると思えるようになりました。
次回は、気力がなくなっていた私がお城と出会うまでのことをご紹介したいと思います。
どうぞお付き合いくださいね。
では、また!