【お城訪問】安土城②|近世城郭の原点!石垣のお城の魅力を知るならここ

お城訪問レポート②

前回の記事(大手口〜黒金門)のつづきです。

安土城
黒金門
城子さん

正面に高い石垣が見えてきた! すごい高さだわ!

黒金門を抜けると、とうとう二の丸下帯郭(にのまるしたおびぐるわ)に突入です!

安土城
黒金門の先の石垣

二の丸の下には、圧巻の高い石垣が続きます。これにはびっくり!

こちらの石垣の高さは6mほどですが、石垣の上部分が崩れてしまっているそう。

かつての石垣は今よりもっと高くて、9mもあったといいます。

そしてこの高い石垣の上には、土塀や多聞櫓(たもんやぐら・長屋のように細長い櫓)があったでしょうから、当時の人たちは今の私たちよりも、もっと驚いたことでしょう。

安土城 二の丸下の石垣
二の丸下の石垣
野口

石垣の角の部分にご注目ください!

こちら、石材を長辺・短辺と交互に積んだ積み方をしています。

まだ不完全な形ですが、これが算木積み(さんぎづみ)です。

「算木積み」が確立したのはいつごろなのかと議論されているところだが、すでに天正4年(1576)の信長のつくった安土城で、この算木積みが成立していると言える。
〜滋賀県立大学 中井 均 教授〜

のちの時代のお城では、算木積みは当然のように使われている技法のひとつ。
まだ不完全ですが、その算木積みの初期の形が安土城で見られるというのは、とっても感慨深いです。

野口

石垣を見つけたら、ぜひこの角度で写真を撮ってみましょう!

算木積みについて、詳しくご紹介しています
石垣に注目すると築城時期もざっくり判断できます
安土城 織田信雄と子孫の供養塔
織田信雄供養塔

二の丸下の石垣をたっぷり堪能したら、先に進みましょう。

黒金門を出た左手には、信長の次男:織田信雄と子孫の供養塔があります。

安土城は、本能寺の変の約2週間後に火災ですべて焼けてしまうのですが、火をつけたのは明智光秀ではなく、信雄だったとも言われているんです。

その信雄の供養塔が安土城にあるなんて……なんだか不思議ですね。

二の丸下の石垣前を通り過ぎて先に進むと、石段の手前に、仏足石という仏さまの足あとが彫られた巨大な石もあります。

安土城 織田信長公本廟
信長公本廟

次は二の丸に行きましょう。

二の丸には織田信長公本廟があります。

天正11年(1583)に羽柴秀吉によって建立されたと伝わる、信長の廟所です。

こちらには信長が愛用した太刀や烏帽子などの遺品が埋葬されているそう。

中に入ることはできませんが、門は開いているので内部の様子を伺うことができます。

安土城

いよいよ本丸です。こちらには本丸御殿が建っていたそう!

足元に、平らな石が見えますね。これが御殿の礎石の一部です。

礎石とは、建物の基礎になる石で、その石の上に柱を立てて建物をつくっていきます。

野口

こんな平らな石が等間隔で並んでいるのを見つけたら「何か建物があったのかも?」と想像してみてくださいね。

奥では草刈りをしている方の姿が見えますね。

入山料は、このようにお城の整備や管理に使われています。本当にありがたいです。

安土城

こちらは天守台の石垣

野面積み(のづらづみ)という古い加工の仕方でつくられた石垣です。

石垣には種類があるのですが、それを知っているともっとお城は楽しめますよ!

石垣の種類について、詳しくご紹介しています
安土城 天主台入口
天主台の石段

それでは待望の天主台に登ってみましょう!

安土城 天主台の礎石群
天主台の礎石
城子さん

なにこれすごい!礎石がたくさん!!![

この礎石の上に、天主の柱が立っていたのです。

野口

ここで事前に「予習」した天主のイメージが役立ちます!

安土城 1/20スケールの模型

こんな天主が、この礎石の上に建っていたのです!

天主は、地下1階・地上6階の、当時としては驚愕の高層建築物。

天主台の石垣も含めた天主の高さは、なんと46mもあったと言われています。

資料館で見た天主を、この天主台の礎石の上にイメージしてみましょう。

城子さん

ここに、あの天主が! 鳥肌モノです!

安土城 天主台からの眺め
天主台からの眺め

天主台からの眺め。わかるかな? 遠くに琵琶湖も見えます。

安土城がつくられた当時、安土城の建つ安土山の3分の2が琵琶湖に接していたと言われます。

今より琵琶湖はすぐ近くにあったので、安土城は船で移動するにも便利な場所でした。

天主台から眺めてみると、信長がどうしてこの場所に集大成とも言えるお城を築いたのかが理解できます。

満足するまでイメージして天主台を楽しんだら、そろそろ降りてみましょうか。

帰りは、昔の摠見寺の方に回って帰りましょう。

黒金門を降りたところにある三叉路を右に。「摠見寺」と案内があるのでご安心を。

安土城 旧摠見寺跡と三重塔
旧摠見寺跡と三重塔

手前の右手に摠見寺跡が、奥に重要文化財の三重塔が見えます。

摠見寺は、信長によって安土城内に創建された本格的な寺院です。

本能寺の変のあとの安土城の火災での被害はありませんでしたが、江戸時代末期の火災で本堂は焼失してしまいました。

現在の摠見寺の本堂は、徳川家康邸跡と伝わる大手門脇の場所に移動しています。(先ほどお抹茶をいただいた場所です)

安土城 旧摠見寺の仁王門
旧摠見寺の仁王門

三重塔の先を下っていくと、こちらも重要文化財の仁王門があります。

大迫力の仁王像も必見ですよ。

石段を下り、道なりに下っていくと「伝 羽柴秀吉邸跡」に到着です。

もう一度、邸跡や大手道を見回して、思う存分眺めて写真に残しましょう。

まとめ

黒金門〜天主台〜仁王門〜大手道のルートを、ゆっくり堪能して50分でした。

往復で、およそ1時間40分。

たくさんの石垣を堪能できて、大満足です!

近世城郭の原点である安土城では、ぜひ石垣のつくりをよく見てみましょう。

この石垣を知ってほかのお城に行くと、技術力の進歩に驚き、そして感動しますよ。

石垣のお城は、ほんの少しの知識を持っているだけでさらに楽しめます。

そして資料館などに天守の模型や復元図があるなら、ぜひ下見してお城に行ってみましょう。

野口

イメージを膨らませて見てみると、お城はもっと楽しくなります。

資料館でイメージを膨らませていくといいですよ!

では、また!

この記事を書いた人

お城カタリスト