私の「歴史」とのつきあい方

大阪城
大阪城(大阪府)の日本庭園

乗り鉄・撮り鉄・音鉄・時刻表鉄・廃線鉄……電車の楽しみ方がいろいろあるように、お城の楽しみ方も千差万別です。

お城仲間と話していると、天守が好き、門が好き、土橋や土塁が好き、堀切のあのV字ラインが最高とか、畝状竪堀のあのウネウネ感がたまらない! なんていろんなパーツ押しが出てきます。
パーツだけでなく、縄張好きや、移築された〇〇が好きだったり、城下町グルメや、お城のマンホール集めが好きな方など、ホント多彩で面白い。

私の場合は、だ・ん・ぜ・ん・石垣!
石垣に残る匠のワザも、無常観を感じるような苔むした姿も、あのカーブも積み方も石の色も……
石垣のすべてが、私の心を鷲掴みにして離さない! と言っては大げさですが、それくらい好きです♡
子どもの頃から石集めが好きだったのも影響してるのかもしれません。

お城の楽しみ方であれば、「うんうん、それもいいね!」、「それもアリだね!」って同調できるのに。
「そんな楽しみ方って間違ってる」なんて議論は起こらないのに。

どうして、「歴史」のこととなると同調しにくくなるのでしょう?

主張のぶつかり合いに疲れました

新書など専門家の本を読むと「AとBの説があるが、Aが正しい。なぜなら〜」とB説を論破していきます。
専門家なので、もちろん考えや検証を主張するのは、至極当然のことです。

それが歴史のこととなると、一般の人も専門家のように、正そう・論破しようとする方が多い気がします。
「そういう考え方もあるね」って同調が少なくなる。
私の考えが正しい、あなたは間違ってるって、主張がぶつかり合う。

それぞれに、それぞれの歴史観があるのでしょうが。
もういいよ。そんなの、もうやめようよ。

邪馬台国の九州説や近畿説も、聖徳太子が存在したかの謎も、鎌倉幕府のはじまりが数年変更されたとか。
正直、どっちでもいい。どっちでも大した問題じゃない気がしてしまう。
歴史は面白いのに、そんなぶつかり合いに、疲れました。

私の歴史とのつきあい方

私にとって、その歴史が正しいか正しくないかは問題ではありません。
正しさより大切にしているのは、歴史上の人物たちのドラマに触れること、感じること、想像すること。
なぜなら、私にとって「歴史」とは、人生の価値観を教えてくれる「人間ドラマ」だからです。

お城の楽しみ方が千差万別なように、歴史の楽しみ方もいろいろあっていいと思います。
そんな風に思ってしまうのは、私が歴史に疎いからなのでしょうか。

実は、私は歴史が苦手でした。
学生のころの「暗記」や「記憶」の試験対策の勉強に苦手意識があったからかもしれません。

お城が好きがきっかけで、避けていた歴史とも向き合ってみようと思うようになりました。
苦手意識より、お城への飽くなき探究心の方が上回ったのです。
もっと深くお城を知りたい。そんな思いで歴史を勉強し直してみたら……
なにこれ! 歴史ってすごい! 面白すぎるーー! と変化しました。

ほっと一息つきましょ

学校で学んだ日本の歴史は巨大な氷山の一角で、教科書ではわからないたくさんのドラマにあふれてる!!
それが、すごくすごく面白いと思ったんです。

人が存在し、人と人がなんらかの関わりを持つからこそ、歴史が生まれる。
ああ、やっぱり歴史は人がつくるものなんだーと、改めて実感しました。

歴史の人間ドラマが、過去の人物の成功や失敗が、私に人生を教えてくれる。
そのときその人物がどう思ったのか、どう感じたのか、そしてどう行動したのか。
そこのところが、すごく気になります。

歴史は、数学のように明確な答えが出ない学問だからこそ、イメージをふくらませてワクワク妄想する、ほかの学問とは違った楽しみがあります。

おおらかな包容力で歴史を楽しもう

何が本当に正しいか、何が間違っているかなんて、同じ時代に生きていない限りわかりません。
同時代を生きていたとしても、その人物の心の中身までは理解できないかもしれない。

他人の人生や心なんて、自分のこともよくわからないのに、ハッキリわかるなんてないはず。
だから、歴史をきっちり白黒つけるのではなく「なんとなく」・「大まかに」・「ざっくりと」のグレーな包容力で理解したいと思っています。

想像力をかき立てられたり、歴史の「if・もしも」をあれこれ妄想してみたり、お城の楽しみ方が何通りもあるように、歴史の楽しみ方も千差万別でいいはずです。

試験勉強じゃないのですから、正解に囚われることはないのです。
ざっくりでも流れがわかっていれば、充分じゃないのかな。
自由に楽しんでいい。人生は楽しんだ者の勝ちです。

この人物が生きていて、日本の歴史に一瞬のきらめきを確実に残していった。
そのささやかな「きらめき」が歴史の面白さだと思うのです。

まとめ

勝竜寺城
勝竜寺城(京都府京都市)にある細川忠興と玉の像

歴史上の人物のドラマに触れることが、私の歴史の楽しみ方・つきあい方です。
主張のぶつかり合いは、できれば避けたいです。

私は、城郭研究家でも大学教授や学者でもありません。
お城案内やセミナーで、もちろん間違った歴史はお伝えしませんが、これが正しい歴史だと主張もしません。
「〜かもしれない」と伝えつつ、心の中では「〜ではないかもしれない」と自分に言い聞かせています。

正しさを主張しあえば、それはやがて争いに発展しかねません。
戦争のはじまりも、正義と正義の対立です。

もっと柔軟におおらかに歴史を受け入れたなら、歴史はもっと楽しいものになると信じています。

私はそんな風に、お城や歴史の面白さを伝えていきたいです。

それではまた!

この記事を書いた人

お城カタリスト