こちらでは、高橋克彦氏の『火怨~北の耀星アテルイ~』(講談社文庫)を読んだ感想をご紹介しています。
本から学んだことや感じたことを、徒然なるままに書いています。
この本を読んでみようと思ったのは「城柵(じょうさく)」と「蝦夷(えみし)」のことが知りたかったから。
そして、大和朝廷が蝦夷をどのように捉えていたのか、その時代と社会情勢も知りたくて。
2019年のGWに訪れた「胆沢(いさわ)城」の展示施設で、蝦夷の英雄:阿弖流為(アテルイ)の存在を知ったことも、蝦夷と阿弖流為に興味を持ったきっかけなのかもしれない。
いつも、お城を通して知る出来事や知識が、たくさんあることに気づかされる。
お城に出会わなかったら知らずにいたかもしれないと考えると、お城好きになってよかったと心から思う。
ここは、もともと阿弖流為の拠点だった場所。
作品の中では、蝦夷と朝廷側との激しい戦いの場として描かれている。
阿弖流為が朝廷軍に倒されたのは、奈良時代末期の延暦21年(802)のこと。
その後、多賀城に代わる陸奥国の「鎮守府(ちんじゅふ・軍政を司る役所)」として、征夷大将軍の坂上田村麻呂が築いた城柵が、この胆沢城だ。
城柵とは、奈良時代から平安時代にかけて、蝦夷討伐の拠点として朝廷が築いた城のこと。
その構造は、一辺が数百mの外郭を築地塀(土などを突き固めてつくった土塀で塀の上には屋根瓦を乗せている)で囲み、その中央に政庁を配置する。例えるなら、平城京の政庁部のミニチュア版だ。
本格的な朝廷の陸奥(みちのく)支配は、神亀元年(724)に大野東人が、現在の宮城県多賀城市に城柵の「多賀城」を築いたことにはじまる。
朝廷の陸奥支配といっても、武力での支配ではなく、都の人々が「文明的に劣った人種」と蔑む蝦夷たちに、城柵という政治的拠点を築くことで「律令国家」である朝廷の威厳を見せつけたに過ぎない。
いわば城柵が、朝廷の支配する土地と、蝦夷たちの暮らす土地の境界を定めた。
それだけなら、朝廷と蝦夷の関係性はまだよかったのだろう。
運命のいたずらが、蝦夷たちを翻弄する。
作品から抜粋してご紹介しよう。
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天平21年(749)の春。多賀城にほど近い小田郡から大量の黄金が産出したのである。これに朝廷は狂喜した。歴史の偶然ではあろうが、このとき朝廷は東大寺の大仏造立に着手していた最中で、しかも八分通りの完成を見ていた。あとは黄金で鍍金を施せばいいという段階にまで達していたのである。(中略)調達に苦慮していた矢先にこの朗報が入り、朝廷はどよめいた。まさに仏の加護としか思えない。天皇はさっそくにその喜びを改元という形であらわした。天平21年改め天平感宝元年。宝の出現に感謝するという意味合いであろう。
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ときの天皇は、第45代 聖武天皇。
仏教の力によって政治や社会の動揺をしずめようと、60余か国に国分寺を建立し、盧舎那大仏造立の詔を出すなど、鎮護国家政策を行なっていた天皇だ。
4年半にわたって、平城京から恭仁京・難波宮・紫香楽宮と、遷都を繰り返していた聖武天皇も平城京に落ち着き、天平19年(747)から東大寺で大仏の造立がはじまったという。
この陸奥での黄金の発見が、蝦夷の運命を変えてしまった。
高橋先生は『火怨』の中で、こう書いている。
「辺境と見捨てられ、なに一つ価値を見出されていなかった陸奥が、このときから朝廷にとって宝の国となる。」
それ以降は「宝の国」の宝を奪おうとする朝廷が、積極的に蝦夷を支配しはじめていく。
宝亀11年(780)、朝廷に恭順を示していた伊治公呰(鮮)麻呂(これはるのきみあざまろ)は、ついに陸奥国按察使の紀広純(きのひろずみ)らを襲撃する「宝亀の乱」を起こす。
主人公の阿弖流為は、そんな伊治公呰(鮮)麻呂の想いを継承して大和朝廷と戦った蝦夷のリーダーだ。
阿弖流為が活躍する時代、ときの天皇は第50代 桓武天皇。
桓武天皇は、弱腰の歴代天皇とは違うと言わんばかりに、大規模な兵力を動員して蝦夷攻略を押し進めた。
それまで中央官僚の出世の足掛かりのような征東将軍も、武勇の誉れ高い武官が名を連ねるようになる。
この作品によると、「朝廷は、蝦夷を人とは扱わず獣や鬼と捉えていた」という。
そのために恭順を示したとしても、朝廷側は蝦夷を対等とは見なさず、犬のように扱った。
阿弖流為のはじめた戦いは、そんな「蝦夷の誇り」を取り戻すための戦いだった。
そして最期は「自分は死すとも、子や孫たちがこれから先も蝦夷としての誇りを持ち続けるため」に戦い、散っていったのだ。
その描写はまるで、大東亜戦争での特攻隊の若者たちを描いたかのようで、胸が熱くなった。
高橋先生の描く戦いの様子は、とても愛に溢れている。
戦闘シーンも多く描かれてはいるが、血生臭いドロドロした描写ではなく、阿弖流為をはじめとする蝦夷側の人々や、征夷大将軍として派遣された朝廷側の将軍たち、特に坂上田村麻呂の心理的描写を丁寧に表現しているので、文章にのめり込んで目が離せなかった。
戦闘シーンの描写は、まるで映画のワンシーンを見るかのように美しく、心が強く揺さぶられ涙が溢れた。
胆沢城は、史料展示施設の前に広がる、原っぱのような広大な敷地が城跡だ。
発掘調査をもとに外郭の築地塀が復元されているが、大のお城好きはともかく、一般の人なら想像力をたくましくしなければお城としての雰囲気を感じ取ることが難しいかもしれない。
この本を読んで胆沢城に行ったなら、きっともっと胆沢城を堪能できただろうと思う。
『火怨』を読んだことで、胆沢城が原っぱであった理由もわかる。
それだけ平らで平野がひらけていたからこそ、蝦夷と朝廷側との騎馬隊の戦場になりえたのだ。
物語や歴史小説でイメージを広げることは、その場に立ったときに受ける感情が全く変わってくる。
物語のチカラは偉大だと改めて感じた。
緻密な調査と史料解読によって、古代という未知なる世界をまざまざと表現する高橋先生の文章は、とても読みやすくて良質な学びがたくさん詰まっていた。
東北愛にあふれた高橋先生の本を、もっと読んでみたいと思った。
(2020年1月14日 読了)
読書の記録は、自分の考えが整理できて便利! これからも読んだ本をまとめていこうと思います。
高橋克彦氏の作品
火怨〜北の耀星アテルイ〜(上下巻)|講談社文庫
高橋克彦氏の「東北四部作」の1つ。後述『炎立つ』の300年前、奈良時代の東北が舞台の作品。780年の宝亀の乱から802年に阿弖流為が処刑されるまでの、蝦夷の誇りを取り戻すための戦いが、壮大なスケールで描かれている。『火怨』の冒頭部分は『風の陣』の終盤部分とリンクしているので、この2冊を読み比べると鮮(呰)麻呂側の心理もわかって面白い。詳細を見る
風の陣(全5巻)|講談社文庫
高橋克彦氏の「東北四部作」の1つ。陸奥国に黄金が発見された天平21年(749)から宝亀の乱までの、奈良時代後期の30年間を描く。『火怨』にも登場する、伊治鮮麻呂・道嶋嶋足・物部天鈴が主人公の物語。鮮(呰)麻呂が宝亀の乱を起こすまでを描いた[裂心篇]は涙なくしては読めません。蝦夷の暮らす陸奥国のほか奈良の平城京も舞台なので、橘 奈良麻呂の乱や女帝と道鏡のスキャンダル(?)なども登場して面白い。[立志篇][大望篇][天命篇][風雲篇][裂心篇]の全5巻。詳細を見る
炎立つ(全5巻)|講談社文庫
高橋克彦氏の「東北四部作」の1つ。安倍頼良が奥六郡を治めていた1049年から奥州藤原氏の興亡までの130年の歴史を描いた超大作。絡み合い繋がる蝦夷の心。阿弖流為や鮮(呰)麻呂が思い描いた「蝦夷の楽土」が奥州藤原氏の栄華によって完結する。前九年・後三年の役の真相を知る1冊にもおすすめ。源 義経や頼朝も登場します。大河ドラマの原作本。詳細を見る
天を衝く(全3巻)|講談社文庫
高橋克彦氏の「東北四部作」の1つ。舞台は『炎立つ』のラストから400年後の戦国時代が舞台。南部氏は血筋からいえば蝦夷ではないが、東北に何百年と歴史を積み重ねれば立派な蝦夷ではないか……と「蝦夷とは何か?」を問うような作品。豊臣秀吉と戦う九戸政実を描いたこの作品の中にも、鮮麻呂や阿弖流為から続く蝦夷の心が繋がっている。詳細を見る