今回は「だんじり」で有名な大阪府岸和田市の岸和田城をご紹介します!
岸和田城には、昭和29年(1954)に再建された、三重三階の復興天守がそびえ立ちます。
完成した当時は、天守内部を図書館にしていたというユニークな前歴もあります。
戦国時代には豊臣秀吉の紀州征伐の拠点となり、江戸時代には大坂城と紀州徳川家の和歌山城の間の要の城でした。
慶長2年(1597)に建てられた天守は、再建された現在の天守よりも大きな、五重五階のつくりだったそうです。
現存する世界遺産の「姫路城」は五重六階地下一階ですから、当時の岸和田城がとても立派で巨大だったことがわかるはず。
この岸和田城を徳川幕府が重要視したのは、和歌山から大阪に至る「紀州街道」が岸和田城下を通っているからでしょう。
いまは跡が残るだけですが、岸和田城の二の丸には、京都の伏見城から移築した伏見櫓がありました。
伏見城から櫓を移築されたお城は、岸和田城のほかに江戸城・大坂城・尼崎城・福山城(一説には膳所城も)と言われています。
徳川幕府は戦略的に重要なお城に、徳川の公儀の城である伏見城の建物を与えた傾向がありますから、伏見櫓が移築された岸和田城は、それだけ重要な城だったということでしょう。
福山城には、伏見城から移築された伏見櫓が現存しています。
お城に行ったなら、天守の内部や最上階からの景色だけでなく、外観やお城の外側にも目を向けてみましょう。
再建された天守とは言え、大きな破風と格式の高い華頭窓など、細かなディテールまでこだわった外観は必見です。
岸和田城の石垣は「打ち込み接ぎ」が多く見られます。
石垣には、石を割るために開けられた、ギザギザファスナーのような「矢穴」の跡を見つけることができます。
恐竜の口みたいに愛嬌があって、かわいいでしょう♡
矢穴が大好きな私は、見つけるとテンションがあがります。
天気のいい日には、お堀の水面に天守が映って、それはそれは美しい姿を見せてくれます。
お堀の周りをぐるりと歩いてみると、本丸の石垣からお堀に向かって石段が伸びていることに気づきます。
この石段を降りて、お殿さまが舟遊びをしたのかも、昔はお堀が海につながっていたのかも、なんて想像を膨らませるのも面白い。
岸和田城は、別名「ちきり城」と言います。
これは、本丸と二の丸が連なった形が、はた織り機の縦糸を巻く「ちきり」に似ているからだそう。そんな岸和田城の構造に注目して歩いてみるのも楽しいものです。
季節の花々があふれる城内はセラピー効果があるかもしれません。
足元に注目すれば、マンホールにお城も見つかります。
お城の楽しみ方は十人十色。
あなただけの楽しみ方を見つけてみてはいかがでしょう♡
2018年6月3日 登城