こちらのページでは、安土城(滋賀県)の見どころを厳選してご紹介しています。
時間がないときでも、この必見ポイントを押さえれば安土城の魅力を網羅できます。お城を訪問する前にぜひチェックしてくださいね。
安土城は、日本で初めての「天主(てんしゅ)」があった、織田信長のお城です。
安土城の「すごさ」とはどんなものでしょうか?
安土城は「お城の歴史」、つまり「お城のつくりの進化」において革新的なお城なのです。
それまでのお城は、平地に「館」や「御殿」のような「屋敷」を建てて政治を行い、そのお屋敷の裏山の山頂に「詰めの城」という、敵から攻撃されたときに立てこもる「山城」をつくることが主流でした。
その山城は敵からの攻撃など非常時のためのお城なので、櫓や塀はあったでしょうが簡易的な建物が中心だったようです。
それに対して、信長の築いた安土城は、「政治をつかさどる屋敷の機能」と「山城の防衛拠点としての機能」を一本化して、ひとつの敷地内につくったのです。
さらに信長は、「御殿」と「櫓」を融合した「天主」をつくります。
信長は、天主を単なる物見櫓の役割だけではなく「権力の象徴・シンボル」として展開させました。
それまでの主流だったお城のつくりが、信長によって展開・発展した点が評価されて、安土城は日本100名城にも選ばれているのでしょう。
それでは、近世城郭の原点とも言える「安土城の見どころ」をご紹介しましょう!
見どころ1・驚くほど広くてまっすぐな大手道
入山すると目の前に広がるのは、幅が広くてまっすぐな大手道(おおてみち)!
この大手道の道幅は約6mで、およそ180mにもわたって直線的につくられています。
こんなに広くてまっすぐな道では、敵の大群も簡単に攻め登ることができてしまうでしょう。
それまでの戦いのためのお城ではありえない構造です。
いかに攻めにくく、いかに進みにくくするかがお城の中の道にとっては重要なことのはず。
この大手道からも「革新的な信長の城づくり」を体感できます。
伝承ですのでその位置は定かではありませんが、大手道の両側には家臣たちの家があったと伝わる場所が、ずらりと並んでいます。
羽柴秀吉、前田利家、徳川家康など名の知れた武将たちの名前を見るだけで心が踊る瞬間です。
見どころ2・黒金門に残る最強の防御のつくり
こちらは黒金門(くろがねもん)と伝わる門の跡です。
出入り口である虎口(こぐち)は、お城の防御プランを考える上で最も重要なポイントになります。
特にこの黒金門は、安土城の中心部に入るためのいちばん重要な場所にある虎口です。
そのため非常に守りの固い「枡形虎口(ますがたこぐち)」という最強のつくりをしています。
それは、門をひとつ突破しても内側にもうひとつ門があり、同時に、虎口にまっすぐ突入できずに折れ曲がりながら中へ進む構造です。
日本酒を飲む枡のように立方体の形状をしているので枡形といいます。
四方を囲まれているので、まさに袋のネズミ状態で逃げ場はありません。
これまで幅の広かった道が、黒金門を過ぎると対照的に狭い構造になるところもチェックしたいポイントです。
この黒金門から先が、信長の居住空間へとつながる道。敵が攻めにくいように狭く急につくったのでしょうか。
「家臣たちの暮らす所は、なぜ直線的な道にしたのだろう?」なんて、あれこれ想像しながら登ってみましょう。
見どころ3・算木積みの初期の形態がわかる石垣
石垣を鑑賞するときには、ぜひ石垣の「角の部分」にご注目ください!
安土城でも上の写真のように、石材を長辺・短辺と交互に積んだ積み方をしています。
まだ完全な形ではありませんが、これが「算木積み(さんぎづみ)」です。
「算木積み」が確立したのはいつごろなのかと議論されているところだが、すでに天正4年(1576)の信長のつくった安土城で、この算木積みが成立していると言える。
〜滋賀県立大学 中井 均 教授〜
算木積みは、のちの時代のお城では当然のように使われている技法のひとつです。
まだ積み方は不完全ですが、その算木積みの初期の形が、天守のはじまりの安土城で見られるというのはとても感慨深いです。
この部分の積み方の違いによって、時代が古いのか新しいかを大まかに知ることができるので、石垣があるお城に行ったときは、ぜひ石垣の角の部分の様子をチェックしてみてくださいね。
見どころ4・整然と並んだ天主台の礎石
この整然と並んだ平らな石は何でしょうか?
この石は「礎石(そせき)」です。
礎石とは、建物の基礎となる石のことで、この礎石の上に天主の柱が立っていたのです。
石垣や礎石だけでは、どんな建物があったのか想像するのは難しいですね。
そんなとき役に立つのが、資料館や博物館などの展示です。
安土城を訪問する前に、安土駅の近くにある「安土城郭資料館」で天守の模型を見て「予習」をしておけば、「こんな天主が、この礎石の上に建っていたかも!」とイメージしやすくなります。
資料館や博物館などでの事前の予習がおすすめなのは、安土城だけでなく、ほかのお城でも言えることです。
名古屋工業大学教授の故・内藤 昌(あきら)氏の安土城の復元案によると、天主は「地下1階・地上6階」だったそうで、当時としては驚愕の超高層建築物。天主台の石垣も含めた天主の高さは、なんと46mもあったそうです。
さらに、この復元案によると、天主の地階から地上2階までの中央部分が「吹き抜け」になっていたとされています。
安土桃山時代の日本をつぶさに記録したポルトガル宣教師ルイス・フロイスの『日本史』や、信長の家臣・太田牛一が記した『信長公記(しんちょうこうき)』に出てくる安土城には、吹き抜けの記述は登場しません。
けれど、天主台のほぼ中央の部分を見てみると、規則正しく並んでいる礎石が抜けている場所があります。
この礎石が、発掘された通りに並んでいるのか、内藤氏の復元案にならったからなのか、真相はよくわかりませんが「400年以上も前の建物に吹き抜けがあったのかも?!」と想像するのは楽しいものです。
まとめ
安土城の必見ポイント
- 驚くほど真っ直ぐな大手道
- 黒金門に残る最強の防御のつくり
- 算木積みの初期の形態がわかる石垣
- 整然と並んだ天主台の礎石
こちらの4つのポイントに注目して安土城を歩いてみると、あなたも信長の革新的な城のつくりを体感できるでしょう。
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では、また!