井伊谷城(静岡県浜松市)|井伊家ゆかりの見どころ3選

こちらでは、井伊谷城の周辺にある井伊家ゆかりの見どころスポットをご紹介します。
大河ドラマ『直虎』でも話題の井伊谷城とセットで行ってみませんか?

井殿の塚

井殿の塚
井殿の塚は、謀反の疑いをかけられて今川義元に殺害された、井伊直満と直義の供養塔です。
直満は、直虎の婚約者だった直親の父、つまり直政の祖父にあたる方。直義は直満の弟です。

井殿の塚
謀反人と疑いをかけられても、井伊家にとって大切な大切な親族のふたり。
それでも仕えている今川家の手前、公に供養することは難しかったことでしょう。
そのため、井伊谷城の麓にある井伊家の館の一画に供養塔をこしらえて、それを隠すために成長の早いタブノキを植えたのだと言われています。

野口
大きく成長したタブノキは必見!下からも眺めて、その大きさを体感してください。
タブノキから、供養塔を守りたいと願う井伊家の人たちの熱い思いが伝わってくるようです。

龍潭寺

龍潭寺

写真提供:浜松観光コンベンションビューロー

龍潭寺は、天平5年(733)に行基によって創建された歴史あるお寺です。
大河ドラマの主人公・直虎は、この寺で出家して修行をしていました。
小堀遠州作と伝わる庭園は見事で、国の名勝に指定されています。

龍潭寺
龍潭寺の左手奥には、井伊家の菩提寺として、ご初代さまの共保公や直虎・直政に、幕末の大老:直弼など、井伊家歴代の祖霊を祀る墓所があります。

龍潭寺
その隣には、井伊家を支えた中野や新野、そして小野といった家臣団の墓所もあります。
井伊谷城の麓にある「浜松市地域遺産センター」には墓所の配置が丁寧に紹介されていますので、龍潭寺を訪れる前に下調べしておくと、さらにわかりやすいでしょう。

共保公出生の井戸

共保公出生の井戸
龍潭寺近くの田園の中には、白い壁に囲まれた石組みの井戸があります。
この井戸が、井伊家の初代:共保(ともやす)公が生まれたと伝わる井戸です。
大河ドラマ『直虎』の中では、「ご初代さま」と呼ばれていた共保公。
ご初代さまは、平安時代の寛弘7年(1010)の元旦に、この場所で拾われた(生まれた)そう。

共保公出生の井戸
共保公は、井伊谷の地名にちなんで姓を「井伊」としました。
そしてこの井戸の伝承に基づいて、井伊家は旗印を「井桁」に、井戸のかたわらで咲いていた「橘の花」を家紋にしたのです。

徳川家康の側近中の側近である「徳川四天王」のひとり、井伊直政。
家康がまだ若い直政をなぜ重用したのか疑問でしたが、この井戸に来てわかったことがあります。それは、井伊家が平安時代から続く「名門」の家であったということです。

鎌倉時代、武士階級の中には「介(すけ)」という国が選出した地方豪族の役職があったそう。
「介」を代々名乗ることを許された8つの武家は「日本八介(はちすけ)」と呼ばれ、千葉介・上総介・三浦介・狩野介・井伊介・富樫介・大内介・秋田城介がその8つの武家になります。
その井伊介を名乗っていたのが井伊家だった……ということは、つまり井伊家が遠江国を代表する有力領主であったということです。

ドラマ『直虎』の時代には風前の灯のような井伊家だったとしても、「井伊」という名は間違いなく、その道の人(=武士)なら誰もが知る「名門」だったのです。
井伊家よりもおよそ400年も遅い時代に興った「松平家」にとって、名門の井伊家が家臣だというのは、とても大きなメリットだったと想像できます。名家としてその名が通っているからこそ、元服前の若造(失礼!)だとしても北条家との交渉役の任務が全うできたのです。
若輩にも関わらず、直政が徳川四天王になれたのは、そんな「家」の歴史があったからです。

直政が復興した井伊家は、徳川幕府のもとで重用され、現在もその家は脈々と続いています。
普通に暮らしていると忘れてしまいがちですが、当然、誰にでもご先祖さまがいます。

野口
いまの私が存在するのは、歴史の記録にも残っていないご先祖が、確かに存在したからこそ。
ぜひ井戸の前に立って、井伊家のはじまりとご自身の祖先について考えてみませんか?
共保公出生の井戸
この井戸の隣には、いまでも井伊家の橘が青々と葉を茂らせています。
野口
私にとって史跡は、単なる「過去の遺物」ではありません。その場所で暮らした人々の、何気ない日常を映し出してくれるものが、史跡でありお城だと思うのです。
井殿の塚