岡山城|秀吉や家康も重視した漆黒の名城 見どころ3選

こちらのページでは、岡山城(岡山県)の見どころを厳選してご紹介しています。

野口

時間がないときでも、この必見ポイントを押さえれば岡山城の魅力を網羅できます。お城を訪問する前にぜひチェックしてくださいね。

岡山城

岡山城は、かつて黒漆塗りだった天守の姿から「烏城(うじょう)」の別名がある美しい名城です。

再建された天守だけでなく、辛くも戦火を免れて現存する貴重な櫓もあります。

日本三名園の「後楽園」や、歴代城主たちが増改築した石垣にもご注目ください。

秀吉や家康も重要視した岡山城で、特に注目したいポイントをご紹介します!

見どころ① 再建された天守

烏城と呼ばれた黒い天守

岡山城

慶長2年(1597)宇喜多秀家が建てたのは、黒漆塗りの下見板を使った黒光りする天守でした。

秀家は、築城のアドバイスを受けた秀吉の城造りを模倣したのでしょうか。

大坂城と同じ、秀吉好みの黒い天守を築いたのです。

黒い天守にしたのは、秀吉から使用を許可された金箔瓦のきらめきを、より一層美しく見せるためだとも言われています。

黒と白の天守について、詳しくご紹介しています

不等辺五角形の天守台の理由

岡山城

信長の安土城を真似たとも言われる岡山城の天守は、不等辺五角形の形をしているのが特徴です。

なので天守台の石垣下から眺めると、上の階と下の階の屋根の並びが平行ではないことが分かるでしょう。

四角形ではない天守台に築かれた天守には、その歪みを修正する工夫が施されています。

不等辺五角形の土台の形のままに1階部分を建て、そのまま上階まで築き上げてしまうと、天守の歪みが大きくなり倒壊する可能性があります。

それを防ぐため、上階の建て増しした部分で歪みの修正をしているのです。

これができるのは、岡山城が「望楼型」という構造の天守だからです。

望楼型と層塔型の天守については、別の記事で詳しくご紹介します。

岡山城の天守台が変わった形をしているのは、整った四角形の土台をつくり上げる技術が劣っていたため、やむを得ず不等辺六角形になったからかもしれません。

野口

岡山城の天守は、天守台を整える技術力の低さを天守の構造でカバーした、芸術的な天守だと思います。

もしかしたら、信長をリスペクトして安土城のマネをしたのかもしれない。

もしかしたら、築城技術が未熟だったために変形の形をとったのかもしれない。

「正解は何か」ではなく、諸説ある「歴史のif」をおおらかに楽しんでみましょう。

戦後に再建された天守

岡山城

現在、松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城の5つのお城が国宝に指定されています。

昭和20年代まで、国宝(旧国宝)に指定されたお城は、なんと24城もありました。

岡山城も、国宝のお城のひとつです。

そんな貴重な国宝の城の多くは、昭和20年の空襲で焼失してしまいます。

岡山城も例外ではなく、戦火によって天守をはじめ多くの歴史的建造物を失いました。

戦後、日本の各地では天守の再建運動が起こります。

現在見ることができる岡山城の天守は、昭和41年に再建されたものです。

戦後の再建運動はなぜ起きたのかをご紹介しています。

戦前の岡山城と、再建された現在の天守の写真を比較してご紹介しましょう。

岡山城に行ったら、古写真と現在の天守を見比べてみてくださいね。

昭和7年の岡山城(岡山城HPより)
岡山城
現在の岡山城
昭和7年の岡山城(岡山城HPより)
岡山城
現在の岡山城
岡山城の公式サイトには戦前の天守の写真が掲載されています。
野口

戦後、なぜ空襲で焼けた天守は再建されたのか? 再建された岡山城が歴史を考えるきっかけになれば…と思います。

見どころ② 現存する櫓

岡山城と言うと、再建された天守ばかりに目が行きがちなのですが。

戦火から辛くも逃れ、幸運にも現存する2つの櫓にも、ぜひご注目ください!

月見櫓(つきみやぐら)

本丸の中段エリアにある月見櫓とその周辺は、池田忠雄によって1620年代に拡張されました。

忠雄の両親は、父が姫路城城主の池田輝政で、母は家康の娘:督姫です。

つまり忠雄は家康の孫にあたり、時の将軍:徳川家光と、いとこの間柄

そんな幕府に近しい関係だからでしょうか。

月見櫓の周囲にある土塀には、「笠石銃眼」という当時の最新式の鉄砲狭間が備えられています。

岡山城
土塀と笠石銃眼
土塀の下に笠石銃眼が等間隔に並んでいます
岡山城
笠石銃眼(拡大)
高度な石の加工技術を必要とします

笠石銃眼は、全国的にも珍しい防御設備で、江戸城・二条城・大阪城と、ここ岡山城の4ヶ所にしかない貴重なものです。

笠石銃眼についてはこちらの記事をご覧ください。
岡山城
本丸外側から見た月見櫓
外側からは二階建ての建物に見えます
岡山城
本丸内側から見た月見櫓
内側から見ると三階建ての構造なのが分かります

月見櫓は名前のとおり、風流なお月見に使われたものなのでしょう。

けれど櫓をよく見ると、石落しや隠し狭間など防御のしくみを見つけることができます。

月見櫓のある場所は藩の政治を行う「表書院」があった場所です。

そのため、雅なだけでなくセキュリティーにも配慮した構造をしているのでしょう。

西丸西手櫓(にしのまるにしてやぐら)

西の丸エリアは、池田忠継や忠雄が藩主だった江戸時代初頭に改修されました。

その際に建築されたと言われているのが、この西丸西手櫓です。

岡山城
西丸西手櫓
一階と二階の大きさが同じ「重箱櫓」と呼ばれる形状です
岡山城
西丸西手櫓
廃校なので今は立ち入れないかもしれません

この櫓があるのは、2001年に廃校になった内山下小学校の校庭です。

忠雄のあと、池田光政の時代には、西の丸を光政の隠居所に改修しています。

西丸西手櫓の近くには、隠居所の名残りと思われる庭園跡もありますよ。

光政時代の庭園跡
櫓の近くにひっそりとありました
岡山城
大通り沿いからの眺め
廃校に入れないときは路面電車の走る大通り沿いから櫓を眺めてください
野口

訪問した当時(2018年1月)は櫓のある廃校に入ることができましたが、現在は立ち入ることができないかもしれません。ご注意ください!

西手櫓もある石山・西の丸エリアに行ったときの訪問記です。詳しい地図もあります。

見どころ③ 歴代の城主たちが築いた石垣

岡山城城郭図:岡山城HPより引用

岡山城は、歴代の城主たちが改修や整備を繰り返して完成したお城です。

歴代城主たちの城づくり:まとめ

  • 宇喜多直家の時代:石山エリア(二の丸内郭[西の郭])を整備
  • 宇喜多秀家の時代:本丸・二の丸・二の丸内郭・三之曲輪・三之曲輪の内(北側)を整備
  • 小早川秀秋の時代:本丸中段の南側を拡張・三之曲輪の内(南側)・三之外曲輪の内を整備
  • 池田家の時代:本丸中段の北側を拡張(本丸完成)・西の丸を改修・後楽園完成

その改修や整備の歴史がひと目で分かるのが、石垣です。

なぜ分かるのかと言うと、石垣は時代によって積み方が違っているから。

石垣の積み方の違いによって、城主たちの城づくりの歴史を知ることができるのです。

石垣の積み方の種類をご紹介しています。これを知ると時代の新旧を見分けることができますよ。

石垣の積み方の違いに注目する

この石垣の積み方を踏まえて、岡山城の石垣をご紹介しましょう。

野口

岡山城はいろんなタイプの石垣がまとめて見れる、とてもお得なお城ですよ 笑

  

岡山城
石山エリアの石垣
野面積み
宇喜多直家が1573年から築いた石垣
岡山城
中段の地下にある石垣
野面積み
宇喜多秀家が1590年代に築いたもの
この石垣は池田時代に中段を拡張したため地下に埋蔵された
岡山城
本段南東の高石垣
野面積み
宇喜多秀家が1597年までに築いた石垣
岡山城
本段東側の石垣
野面積み・打ち込み接ぎ
宇喜多秀家小早川秀秋の石垣の継目がある
岡山城
中段南西の石垣
打ち込み接ぎ
小早川秀秋が関ヶ原の戦い後に築いた石垣
岡山城
月見櫓下の石
打ち込み接ぎ・切り込み接ぎ
池田忠雄が1620年代に築いた石垣
岡山城

中段西南の石垣は、小早川秀秋が築いた野面積みの石垣と、池田忠雄が築いた打ち込み接ぎの石垣がつながります。

宇喜多時代に築かれた本丸の中段は、小早川秀秋は南側を、池田時代には北側を拡張しました。

そのため宇喜多時代の石垣は地下に埋蔵され、地上ではこのように加工度合いの違う石垣がつながる景観が生まれたのです。

野口

石垣に沿ってぐるりと歩いてみましょう。石垣に刻まれた城主たちの歴史を感じてくださいね。

池田家時代に築かれた大手口門付近の石垣

岡山城
内下馬門跡の鏡石

大手口門(内下馬門)跡 付近の石垣には「鏡石」と呼ばれる大型の石が多く使われています。

お城の正面玄関である大手口があった場所なので「お城の顔」として石垣で威厳を示したのでしょう。

そんな「魅せる石垣」にもご注目ください!

野口

鏡石の写真を撮るときは、大きさの違いが分かるので人物も一緒に撮影してみましょう。

「鏡石」について、詳しくはこちらの記事をどうぞ。

まとめ

岡山城の必見ポイント

  • 再建された天守
  • 現存する櫓
  • 歴代城主たちが築いた石垣

いかがでしたでしょうか?

岡山城は、歴代の城主たちが拡張・整備したことで、お城が完成しました。

ぜひ岡山城を訪れる際には、歴代城主にどんな人物がいたのかを、ざっくり知って行ってみましょう。

なんとなくでも知識を踏まえて行ってみると、見える景色は必ず違ってくるはずです。

岡山城
天守から眺めた後楽園

岡山城の本丸の、旭川を挟んだ対岸にあるのは、日本三名園の「後楽園」です。

このような大名庭園は、大名たちの雅な趣向だと思うかもしれませんが、それだけではないのです。

本丸の東側は、天然のお堀である旭川しかなく、お城の守りが手薄なエリアでした。

その場所に、お城の守りも兼ねて作庭されたのが後楽園です。

また、庭園には季節の花木だけでなく、薬草や食べられる植物を栽培して、いざという時に備えたと言います。

お城のつくりには、無駄な遊びはなく、お城を守るために計算された戦略があちこちに隠されているのです。

野口

そんな目線で眺めてみると、お城はもっと楽しくなりますよ!

では、また!

この記事を書いた人

お城カタリスト