こちらのページでは、姫路城(兵庫県)の見どころを厳選してご紹介しています。
時間がないときでも、この必見ポイントを押さえれば姫路城の魅力を網羅できます。お城を訪問する前にぜひチェックしてくださいね。
姫路城は、言わずと知れた世界遺産の名城です。
日本には世界遺産に認定されているお城はいくつかありますが、城郭単体での登録は姫路城だけ。
国宝8つ・重要文化財は74もの歴史的建造物が残っているのは、まさに奇跡としか言いようがありません。
美しさと強さ誇る姫路城で、特に注目したいポイントをご紹介します!
見どころ1・美しさと強さを兼ね備えた天守
外観
姫路城は、江戸城の試作品・プロトタイプだったと言われています。
豊臣秀吉の好んだ黒い天守が主流の時代に、徳川幕府は白い漆喰づくりのお城がどう見えるかテストしてみようと築いたそうです。
外様大名の池田輝政が、関ヶ原の戦いの翌年から、大規模に改修してこの天守を建てました。
輝政は徳川家康の娘婿ですから、もしかすると幕府から資金面と技術面のサポートがあったかもしれません。
姫路城も、江戸城や大阪城と同じように「戦わずして勝つ」という、家康の政治的戦略・セオリーでつくられた、最強の防御力を持った超戦術的なお城です。
そんな戦略的な構造が、天守には散りばめられています。
姫路城の天守は「連立式天守」という最強の防御構造をしています。
4つある天守の形式について詳しくは、別の記事でご紹介します。
姫路城の連立式天守の構造は、大天守と、西小天守・乾小天守・東小天守の3つの小天守が、渡櫓でつながって中庭を囲んでいます。
防御性が強化されたことで構造がより複雑になり、無骨な表情を垣間見ることができるのです。
漆喰の塀や櫓や天守群にまで施された「狭間(さま)」や「石落(いしおとし)」の防御のしくみにご注目ください。
城内にある狭間の数は、なんと997もあるそうですよ!
内部
外観だけでなく、やはり注目したいのは内部のつくり。
「厠(トイレ)」や「流し」など万が一に備えた、籠城のための設備がたくさんあります。
特に注目したいのが、「階段の構造」です。
実際に登ってみると、とても急で登りにくいなと思うのではないでしょうか。
急なだけでなく、一段の高さも高いうえ、足を乗せる踏み込み面の幅もあまり広くありません。
また、上の階に行くほど、階段の幅も狭くなっているのがわかるでしょう。
階段を登り切ったところは、敵の侵入を防ぐため板戸でフタをして閉められるようになっています。
外観だけでなく、内部も戦いを前提としたさまざまな仕掛けに気づくでしょう。
これが、美しさと強さを兼ね備えた姫路城の真の姿です。
戦略的なつくりとは言え、姫路城は戦の舞台になることも、天災や戦争で火災になることもなかった「不戦・不焼の城」です。
リアルな歴史を伝える「本物」が残っているのは、とても幸運なことですね。
見どころ2・バリエーション豊富な門
姫路城と言うと、どうしても国宝の天守ばかりに目が行きがちですが。
幸運にも残ってくれた姫路城の文化財の中で、注目したいのは「門・城門」です。
姫路城に残る21の門の、およそ70%が重要文化財に認定されています。
その文化的価値もさることながら、注目したいのはそのバリエーションの豊富さです。
お城に使われている門は、櫓門(やぐらもん)・薬医門(やくいもん)・高麗門(こうらいもん)・棟門(むねもん)・埋門(うずみもん)・長屋門(ながやもん)・冠木門(かぶきもん)・塀重門(へいじゅうもん)と種類があります。
城門について詳しくは、別の記事でご紹介します。
姫路城には、櫓門が7つ・高麗門が6つ・棟門が4つ・埋門が4つと、4種類もの現存する門を一度に見ることができるのです。
現存する二重(二階建)の櫓門はとても貴重
お城で使われる一般的な門のかたち
簡素な造りの棟門が現存するのは貴重
石垣の中に設けられた門
姫路城は、まるで城門の展示ギャラリーのように種類が豊富ですね。
お城は、門を効果的に使って迷路のように迷いやすく侵入しにくい構造にしています。
上の画像中央にある、外壁が木製の櫓門は「との一門」です。
この門は、少なくとも関ヶ原の戦い以前の城内で最も古い門とされ、秀吉時代につくられたものではないかと言われています。
ここは現在非公開エリアなので、天守の建物群の中から覗いて見ることしかできませんが、ぜひ見て欲しいポイントです。
見どころ3・石垣・瓦・土塀
お城では、建造物だけでなく、細かなディテールをよく見て欲しいもの。
天守に到達するまでの道のりには、たくさんの「宝」がちりばめられています。
宝探しをするように、探検するように、あちこち眺めてみましょう。
石垣
姫路城を今の姿に改修したのは池田輝政ですが、それ以前には、黒田官兵衛(黒田孝高)から居城を譲り受けた秀吉が城主だった時代があります。
そして輝政のあとの時代には、家康の孫娘・千姫が嫁いだ本多忠刻が城主の時代もありました。
そんな、さまざまな城主の入れ替わりの痕跡を見ることができるのが「石垣」です。
上山里丸下段
ぬの門付近「扇の勾配」
三の丸 武蔵野御殿跡付近
石垣の加工が進むほど、石垣は自然でゴツゴツしたものから整ったものに進化していきます。
例外もありますが、技術が進歩して加工が進んだものほど、新しいものだと分かるでしょう。
石垣の加工の様子から、どの城主の時代のものだったかを考えるきっかけにしてみてはいかがでしょう。
瓦の家紋
池田輝政の築城後、姫路城は池田家・本多家・松平家・榊原家・酒井家と複数の城主が入れ替わりました。
瓦の家紋から、どの大名家がその建物に関わったのかがわかります。ぜひご注目ください!
池田家(揚羽蝶紋)が建てた建物を、のちの時代に酒井家(剣酢漿草紋)が改修したのでしょうか?
よく見ると、こんな風に一箇所で複数の家紋を見つけられるかもしれません。
時代ごとに、それぞれの城主たちはメンテナンスや改修をし、お城を守り抜きました。
だからこそ、姫路城は世界遺産になり得たのではないでしょうか。
土塀
こちらは「水の一門」の脇で「姥が石」のある石垣の近くに立つ「油壁」と呼ばれる土塀です。
この土塀は「版築工法(はんちくこうほう)」という、粘土質の土や砂を突き固めてつくられた珍しい築地塀(ついじべい)です。
秀吉時代のものと言われ、城内ではここ1カ所にしかありません。どうぞお見逃しなく!
まとめ
姫路城の必見ポイント
- 優美でありながら戦略的な天守
- バリエーション豊富な城門
- 石垣・瓦・土塀
いかがでしたでしょうか?
お城全体がまるで博物館の貴重な展示物のような姫路城は、どこを眺めても見どころがいっぱいです。
そんな姫路城を今でも目にすることができるのは、明治時代のある人物のおかげかもしれません。
それは、陸軍省の中村重遠 大佐です。
中村大佐は、軍事学的見地や芸術文化面から姫路城の価値に着目し、陸軍省の最高責任者・山縣有朋 陸軍卿に意見書を提出して、永久保存と修理を呼びかけました。
その結果、明治12年(1879)に姫路城の保存が決まり、荒れ果てていたお城の改修がなされることになったのです。
中村大佐のこの活動を称え、菱の門の近くには顕彰碑が建てられています。
お城は、人の手が加わらなければ今の姿を保てません。
改修したり修繕したりと、定期的なメンテナンスがなければ、いずれどんなお城も朽ち果ててしまうでしょう。
今、400年前の姿の姫路城を眺めて、天守の中を歩いて、その時代の空気を感じることができるのは、本当に奇跡的なことなのです。
今だけでなく未来の子どもたちにも、この感動と奇跡を味わってもらいたい。
だから私は、お城に興味を持ってくれる人をひとりでも増やしたくて、お城カタリストの活動をしています。
姫路城に感動したら、あなたも大切な人に、この奇跡とお城の楽しさを伝えてください。
みんなのチカラが集まれば、それはとても大きなチカラになると信じています。
では、また!