お城も絶滅危惧種?!いま知っておきたい天守のこと

姫路城

あなたがお城に行くのはどんなときでしょうか?
例えば、春のお花見のとき。
桜の花と天守の姿は好相性で、4月のカレンダーで目にすることも多いでしょう。
日本三大桜の名所は、青森県の弘前城・長野県の高遠城・奈良県の吉野山と、お城が2つも入っています。
日本の景色に溶け込む天守の存在は、いつもそこにあって当然と思うかもしれません。
けれど、いつまでも桜と天守の姿が見られるとは限らない……としたらどう思いますか。

文化財としてのお城

文化財の意識が高くなかった時代には、お城の建物、特に天守が復興の名のもとにほぼ自由に建てられていましたが、現在は文化庁の管理下にあります。
特に国の史跡に指定されているお城は、文化財保護法のもとで厳しく保護されています。
そのため、文化庁の条件を満たさなければ建物を造ること、つまり復元はできません。
史跡として証明されないものや、史実でない建物は造れないのです。

《文化庁の指定する条件》

  • 発掘調査をして歴史的遺構が存在したことを確認する
  • 当時の設計図面や詳細な絵図、または外観や内部の様子が確認できる良質な古写真があること
  • 復元に使う材料や工法について、原則として、元々の建物があった時代とその地域の特性を反映するものであること

つまり、近世城郭の建物の復元は、天守だけに限らず門や櫓ひとつを建てるにあたっても、当時の規模・構造・形式で、当時あった場所に再現することが条件になります。
また、元の建物と同時代の材料や工法を使うということで、コンクリートではなく、必然的に木造で再建されることになります。

建て替えのときはどうなるのか

建て替えをする場合にも、国指定史跡のお城は上記の条件を満たす必要があります。
現在、愛知県の名古屋城ではコンクリート造りの天守を木造に建て替えようと、様々な調査や検討がなされています。
名古屋城の場合、太平洋戦争で燃えてしまう昭和20年まで、江戸時代の天守が現存していたこともあり必須史料が十分に残っているので、再建計画は着々と進んでいるようです。

その一方では、なかなか史料が集まらずに、懸賞金をかける自治体もあるほど。
例えば、島根県の松江城では大手門復元のために500万円、天守の復元を目指す香川県の高松城では3,000万円と、多額の懸賞金をかけて史料を探しているのです。

史料がそろったとしても……その先にある課題

もし史料を手に入れたとしても、当時の工法で木造建築を作り、現行の建築基準法や消防法などの基準をクリアする建物を造る必要があります。
天守の場合、天守台の石垣こそが文化財として保護すべき対象になるため、その石垣を守りつつ建てるという課題もあります。
また、文化財保護法が今ほど厳格になる以前に自由に造られた、史実に基づいていない天守の場合には、建て替えの条件を満たす史料自体がないので、どんなに古くても壊してしまっては次の天守はつくれません。
今ある天守を改修・補修し続けていかない限り、天守のあるお城はそのままの姿で存在することができなくなり、なくなってしまうかもしれないのです。

ラッコの危機

「なくなってしまう」と書いて思い出したのが、先日聞いたラッコの話。
水の中をくるくる泳いで、お腹の上で貝を割って食べる、とても愛らしいラッコは水族館の人気者です。
「最近、水族館であまりラッコって見ませんよね。昔はよく見たのに」
そんな話から始まったラッコの話は、私の想像を超えるものでした。

ラッコは海外から来た動物と思っていましたが、北海道や千島列島にも生息しているそう。
けれどもその数は激減していて、環境省のレッドリスト、つまり絶滅危惧種として登録されているのです。
世界的に減少した理由は、ラッコの持つ動物界屈指の分厚い毛皮を目当てに、乱獲が繰り返されたためです。

そして水族館のラッコは……

現在飼育されている8つの水族館にいるのは、たったの12頭!
なるほど、水族館でラッコを見かけなくなったと思うはずです。
日本にラッコが初めて来たのは、今から35年前の昭和57年のことで、ピーク時には122頭いたラッコが、今や1/10にまで激減しているのです。

激減の理由は、海外からの輸入が制限されていることや、飼育環境内での近親交配による弊害、ラッコの高齢化とそれに伴い繁殖可能な個体が減少していることなどです。
水族館側もいろいろ工夫をしていて、水族館同士でラッコを貸し借りして繁殖を試したりと生育環境の改善に努めているようです。

お城も絶滅危惧種?!

天守のあるお城も、ラッコと同じ運命を辿ることはないのでしょうか。
戦後の復興の象徴としてコンクリート製の天守があちこちに建てられましたが、50年ほどと言われるコンクリートの法定耐用年数を超える天守が存在しはじめています。
天守を負の遺産にしないよう、コンクリートの補強工事をするのか木造に建て替えるのか、何が最善かを選択する時期が来ているのかもしれません。

景色に溶け込むお城の姿を通して、お城のこれからを考えるきっかけになればと思います。
当たり前の景色が、当たり前でなくなる可能性はゼロだと言い切れないのです。

「最近、天守閣って見ないですよね。昔はよくお城を見ながら花見をしたのに」
こんな話をする時代に、なって欲しくはありません。

野口

天守と一緒に桜を愛でることができること。

それは、奇跡だと言っても過言ではないのです。

この記事を書いた人

お城カタリスト